遊学の森トラスト

遊学の森トラスト in 安房鴨川

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2013年新春の初夢

★昨年の総選挙の結果には、エエ?!と思われた方も多いと思います。結構衝撃でしたね。自民党は294議席(前回の09年総選挙よりプラス175)、公明党の31議席(プラス10)と合わせて3分の2を超える320議席を獲得でした。

ところで、この圧勝は、奇妙な勝利です。自民党は、比例区では得票数が前回よりも219万票減らした1662万票(得票率27.6%)、議席も2増(57)にとどまっただけではなく、小選挙区でも得票率こそ43.0%と前回より4.3%増やしましたが、得票数は2564万票と166万票も減らしています。公明党も、比例区では94万票減らしている。両党とも有権者の支持を回復して勝利したとは、とても言えない情況なのですね。

小選挙区制は民意を反映しないことが、またもやはっきりした感じです。でも現実には自民圧勝、民主惨敗、維新躍進というわけです。安倍極右政権誕生です。
安倍首相を筆頭に稲田朋美(行革相)、古屋圭司(国家公安相)、新藤義孝(総務相)、下村博文(文科相)、といった名だたる極右の人間が並んでいます。「危機突破内閣」と意気込んでいますが何を「突破」するのでしょうか。

2013年7月参議院選挙までは極右の顔を隠して、経済中心に人気取りをはかり、参議院選挙で、自民+維新で3分の2を確保すれば、一気に「憲法改定」に向けて「突破」を試みるのではないでしょうか。公然と戦争の出来る体制に「突破」というわけでしょうか。

★ここでちょっと自民党の「憲法改正」案を見ておきましょう。特徴だけ書き出して見ます。
第一条、 天皇・・象徴→元首
第三条、国旗及び国家(新設)・・日の丸→国旗  君が代→国家
第九条、戦争永久放棄、陸海空戦力は保持しない、交戦権は認めない→削除、国防軍(新設)
第十二条、基本的人権・・公共の秩序に反対してはならない→事実上大幅な制限。
第二十五条、在外国民の保護(新設)→これを口実に多くの侵略戦争が行われた。
第九十六条、憲法改正・・両院の三分の二以上の賛成で国民投票→両院のニ分の一以上の賛成で国民投票

結局、憲法を改訂しやすくして、基本的人権を大幅に制限し、公然と戦争が出来る体制を作ろうとしているようですね。

★よく「日本国憲法」は外国に押し付けられた憲法だから変えないといけないといわれますよね。第二次大戦敗戦当時は、GHQ(戦勝の連合国、実質はアメリカ軍)の統治下にあり、日本政府の提出した保守的な草案に代わる、GHQ憲法草案が基礎となった現在の日本国憲法が国会で承認されたわけです。

戦後の日本政府の憲法草案は、明治憲法を基礎とした天皇中心の非民主的な憲法草案だったのに対して、革新的で民主的な優れた憲法草案が在野で作られていたと伝えられます。憲法学者・鈴木安蔵をはじめ戦前、戦中に弾圧を受けたジャーナリスト、批評家、憲法学者7人が作成した「憲法草案要綱」がそれです。その草案は現在の日本国憲法と基本的に同様の理念であり、GHQも驚きをもって向かえ、GHQも強く影響を受けたとGHQ案起草者の証言があります。

しかし、第九条はGHQ独自のものであり、戦争の放棄、陸海空戦力の放棄、交戦権の放棄が明記されています。これはGHQ占領軍の利益からは、二度と日本軍国主義を立ち上がれないようにする内容です。
しかし、これを民衆の側から見れば、3000万人アジアの民と300万人日本人死者たちのうめきの声として、生き残ったもの、戦争加担者の自戒の念と死者への鎮魂の言霊として受け止めてもいいのではないでしょうか。

★僕は小学6年生の頃、日本は「東洋のスイス」、「永世中立国」になれ!と先生から教えられたことを今想い起こしています。
この先生は東谷先生といい、20歳代の半ばで、戦地から帰還したところでした。戦争の実態を事あるごとに幼い僕たちに話してくださった。1951年朝鮮戦争が始まり、「教員の政治活動防止法案」が国会で上程されようとしていました。この法律は先生が子ども達に戦争のことなど政治的なことを教壇から話してはいけないという法律でした。

このとき東谷先生は「もしこの法律が国会で通っても私は、戦争のことを君達に話す。首をかけても」といわれた。もう詳しいことは思い出せませんが、先生が僕たち子どもに正面から、人間同士として、真剣に、全存在をかけて向かい合ってくださった姿を、今でも鮮明に思い出します。東谷先生にとって憲法第九条・「戦争の放棄」は屈辱憲法ではなく、自分達の起こした侵略戦争の犠牲者に対して、また、自分の意存在のあり方をかけて、生き残ったものが非戦の誓いを込めて、魂を吹き込む原理であったように思えるのです。
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TPPは黒船か?

TPPは黒船か?
田中正治

新春から縁起でもない話なのですが、TPPという話題がにわかにマスコミでも報道されるようになりましたね。日本の農業は壊滅状態になるぞ!という声もきかれたりしています。

また一方では、今年は食料が世界的に高騰するぞ、食糧危機かも?という声も聞こえてきます。それで、ちょっと思いついたことを書いてみました。新春の悪夢と初夢のつもりでお付き合いください。

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(写真 食料暴動)

TPP(環 太平洋戦略的経済連携協定)は、シンガポールなど4カ国から出発し、現在はアメリカやオーストラリアなどが加わって交渉が行われている9カ国の広域的な自 由貿易協定です。その特徴は、二国間のFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)に比べて、「例外なき関税撤廃」を原則としていることにあります。

協定を締結すれば、農産物を含めた全品目について10年以内に関税を完全撤廃。現在778%の関税をかけて輸入している米も、10年以内に輸入関税ゼロになります。

日本農業新聞は、社説で、警告しています。「日本がTPPに参加すれば、関税による国境措置は効力を失い、米、麦、乳製品や牛肉など畜産物、砂糖など多くの農産物が壊滅的な打撃を受けることは必至だ」と。

農水省試算では、米は90%の減、小麦99%減、牛肉79%減、豚肉70%減など「壊滅的な打撃」となり、食料自給率は12%に激減するとのことです。

と ころで、TPPにアメリカがにわかに乗ってきたのは、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国など)新興国の台頭に対して、21世紀に下降線を描くア メリカが、強大な力が衰えないうちに、戦略的にアジアを取り込み経済的、政治的、軍事的に自分の支配下に置こうとしているからなのではないでしょうか。

中国は、おそらくTPPに参加しないでしょうね。こちらも21世紀を見据えて世界的に戦略的布石を打っています。アジアで米中の綱引きが進行中で、日本の政権も両者の間で揺れ動いてきたように見えます。

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(写真 TPP反対農民)

鳩 山・小沢政権は、アメリカと一線を引き、日米同盟のみならず日中同盟?を結び、日米中正三角形+東アジア共同体という絵を描いて、アメリカと距離を置こう としたのですが、それがアメリカの逆鱗に触れたようですね。というわけで、小沢、鳩山の「政治と金の問題」をクローズアップすることで、鳩山・小沢政権を 倒し親米派を政権に就けた裏にはアメリカの力が働いたと僕は見ているのですが。

TPPに参加しなければ「世界の孤児」になると大騒ぎをし ているようですが、別にそんなことはないと思います。BGICsやEUとの選択肢は当然あるわけで世界は多極化していますから。WTO体制の中で、日本は 充分グローバル化の渦にまきこまれています。多極化した世界の中で日本は世界の文化・文明が渦のように入ってくる地理的場ですので、それらを咀嚼して新し いものを創造し・発信する伝統を築いてきたのですから、大いにその特技を生かせばいいのではないでしょうか。

ところで、農業はどうなるんだ?ということなのですが、この20年間ずるずると「死に体」に向かっているといわれているわけですから、思い切った方向転換しかないんじゃないですか。

明日香~1






(写真 棚田)

僕としては、3つの夢があります。

1つ目は、国家レベルの政策です。農家所得に占める政府の直接支払いの割合を現行23%から78%に引き上げること。つまり減反を廃止して、直接支払いをEU並みにすること。

こ の援助を受ける農家(個別農家や農家集団)は、品質改善・多角化(加工・直販・ツーリズムなど)・有機農業などにより経営の経済機能を強化し、雇用の維持 や拡大に貢献し、水質・草地・生物多様性(農用在来種の利用や保全も含む)・景観の保全や自然災害防止に貢献する、地方的状況に応じた多様な経営計画を策 定、これを実行しなければならないとするわけです。EUはこれで農業と環境を守る基本線を引いたわけですから。

2つ目は、農家と都市消費者のレベルでの政策です。

大 企業や外国資本が逆立ちしても出来ないこと。それは農家・生産者と消費者との顔の見える関係・濃い信頼関係です。40年前から有機農産物の生産農家と消費 者とが築いてきた顔の見える関係・産消提携です。農協と周りの農家からいじめられながらも強い絆を築いてきた沢山の有機グループが日本には育っています。 市場出荷せず、生産者と消費者の産直です。今後、日本農業の主流になるでしょうね。いや日本だけでなく欧米でも地域サポート農業や有機農業として注目を浴 びていて、元気です。昨年2月神戸で国際有機農業の世界大会があり、産消提携農家や地域サポート農業グループ集まったので参加してみました。

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(写真 直売所)

さ らに直売所です。じいちゃんとばあちゃんが家の周りの畑で取れた野菜を売れるで小遣い稼ぎの場としてはじめた直売所(生産者と消費者が直結)。ここでは、 市場とちがって農家が自分で値段をつけられます。これって元気が出ますよね。いまや、セブンイレブンを追い越して全国で13000箇所以上。年間売り上げ 高1兆円です。

どうやら大量生産、大量物流、大量消費、大量廃棄の20世紀型システムが生きず詰まり、21世紀型の少量、多様、柔軟、参加、ネットワーク型のシステムへ流れは変わってきっているようですね。

さらに、社会的協同経営体とでもよべる事業体です。

例 えば宮城県鳴子の「鳴子の米プロジェクト」。民俗研究家の結城登美雄さんがコーディネイターになって、低アミロースの米「東北181号」を発掘。鳴子の農 家と旅館組合、陶芸家を結びつけました。全国から会員を募り、鳴子地域をサポートする産消提携システムを作ったのです。日本版地域サポート農業(CSA) といいところ。

でも欧米で脚光を浴びるCSAとどこかが違うよう。欧米のCSAは理念、原則、参加者の権利・義務に関して明確にした上 で、個人との契約がなされます。資本、経営、労働、配分などに関して明確な「契約」の締結がなければ気持ちが悪い人々のようです。この欧米の世界に対し て、鳴子の米プロジェクトの根底にあるのは、プロジェクトに係わる人たちの顔の見える関係です。作る人と食べる人の信頼関係を養っていくことが大切な世 界。だから、人間関係を束ねる綜合コーディネーターが鍵になるようです。

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(写真 鳴子の米プロジェクト)

若 い世代の人たちにとってインターネットでの通販はいまや常識。ホームページやブログやツイッターで農家が自分の考えや情報を発信し、それに共感する人の双 方向の情報ネットワークの中で農産物の売買をしていく。これと通販を絡ませば情報と物の産直になってしまいます。若い農家ではイベントと電子通販を絡ませ たやり方が増え始めています。

キューバみたいに、有機農業を農業の基本にすると憲法で決めてしまい、ほぼ全国民が農業に携わる、というのが究極のTPP対策、食糧危機解決方法のような気がしています。

ちょっ と、それ過激じゃないの、という方にお勧めなのが、半農半X。食料に対する不安は都市ではじわじわ来ていますから、それだけではないですが、都市を脱出し て農山村に移住して生活設計しようという若者がずいぶん増えています。僕が住んでいる鴨川も人気スポット。田んぼと畑を耕しながら、自分の好きなことを仕 事にしてしまうライフスタイルです。

いや~、自分には半農半Xはちょっと無理だよ、という方は、気のあった農家や農家グループと直結し て、食べ物確保のルートを確実にしておけばいいんじゃないでしょうか。ネットワーク農縁のお米を定期で購入するとか、新庄水田トラスト、大豆畑トラストに 参加するとか(^^)。

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(写真 新庄大豆畑トラスト)

昨日、友人宅にお邪魔した折、そこに来ていた友人のオヤジさんは、相模原に住んでいるのですが、面白いことをはじめていました。

そ の人が言うには、食糧危機は絶対来る、それまでになんとかしなきゃ!というわけで、農業経験もないのに1町(3000坪)の田んぼで米づくりをはじめまし た。資金はというと、自分の考えに共感する人を15名集め、1人から50万円出資をしてもらい、その資金で農業機械や資材を買い、出来たお米を 10kg=8000円で出資者に購入してもらっているというのです。その出資者は、自分の友人ではなく、理念に共感した見ず知らずの人たちだというので す。

えっ・・と思いましたが、もうそういう時代なんですねきっと。社会不安、生活不安、食料不安蔓延なんですね。顔の見える信頼関係のネットワーク、何が起ころうと、ぶっち切れない関係をベースに社会と人間の仕組みを草の根で作ってしまえばいいのではないですかね。

安房ルネッサンス 小林ゆうこさんインタビュー

安房ルネッサンス 小林ゆうこさんインタビュー

田中正治


小林ゆうこさんプロフィール

1984年生まれ。 神奈川県出身 両親と兄妹の5人家族 高校在学中にパーマカルチャーや「わら一本の革命」の本に出会い、自給自足生活に憧れを持ちつつも卒業後就職。2009年5月に会社勤めを辞め、鴨川自然王国にて1年の期間限定で研修生として住み込みをし、2010年6月、金束地区に移住。田んぼと最近借りることができた畑に通う事とお友達とお話ししたり、村のおじいちゃんおばあちゃんの凄い技を発見!するのが大好き。大地と共に生き、毎日普通に生活することの大事さを大切にしたいと日々奮闘しています。皆にはゆうこちゃんは魔女だね~って言われます。(自覚はないですが、魔女になれたら嬉しいな♪)

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T-子供のころは、どんな子供だったの?

K-幸せだったと思う。たぶん。両親は健在だったし、父方の両親とも同居していたんです。

T-中学2年生の時に不登校?

K-学校がつまんなかったの。女生徒同士グループを作って行動していたが、誰々ちゃんがどうのこうのetc・・・って、馬鹿馬鹿しい。

この勉強をして何になるのかなーという疑問やテストでいい点とって、いい学校へ行って・・・・?私はいったい何をしたいんだろう・・・・・・?もういいや!と学校に行かなかった。引きこもり、本を読んだ。図書館にもよく通った。


T-図書館でどんな本を読んでいたの?

K-推理小説や環境保護の本。イルカや鯨保護運動があるのを知った。海洋汚染、環境汚染をはじめ地球が大変なことになっている。この先、地球はどうなるのだろう。植物の本や心理学の本を読んだ。ユングの本もさらっと。

考える時間だけは沢山あって、何のために生まれてきたのか?何のために生きるのか?どこから来てどこに行くのか・・・・? 学校の授業にはその答えはない。

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お母さんは泣いちゃうし。“ゆうちゃん、どうしちゃったの?”って両親は心配していたわ。父は5人兄弟の長男で家を支えるために早くから勤めに出ていたので学歴は中卒。本当は高校に行って勉強したかったみたい。でも私は、学校を断固拒否!14歳の時だった。自我の目覚めなのかしら?生きていても仕様がない。生きている意味がない。何をしたらいいのかわからない。あぁ、死ねばこの苦しみから解放されて自由になるのかしらと。

ある夜、寝ながら考えていると、声が聞こえてきた。不思議な声。この世に生まれて来たものは無駄なものはなく、ただ、いのちが存在しているだけでよい、祝福されているのだということがわかった。このままでいいんだ、ということがわかった。もう少し頑張ってみようと思った。

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ある日、担任の先生に呼び出されて、中学卒業には出席時間が足りない。不登校の子が通うところがある。そこに通えば出席日数がとれるので卒業できるのでいってくださいと言われ、そこに行くことになった。

そこの先生たちがすごくいい人達で、お茶のみ友達のような感じ。授業なしでお茶飲みながら雑談をして、本気で卓球やテニスをしたり。でも、“数学教えて“といえば教えてくれる。あったかい人ばっかりだった。

色々疑問をぶつけた。私の話しを最後まできちんと聴いてくれ、その人なりの意見を言ってくれた。中学3年の1年間くらいだった。親友も出来た。そこの先生とは、今でも年賀状を交換したり、食事に行ったり、旅行したりと交流が続いている。いい人と出会えた。すごく感謝している。人との出会いは宝物ね!

T-現在引きこもっている人に関してどう思います?

K-原因は人それぞれちがうので、一概には言えない。他人や社会のせいにすることがよくある。でも自分に起きたことは自分が引き寄せたことなので、素直に起きた事実を受け入れることが大切かな。良いことも悪いことも続かないもの。世の中+-=0。人生もそうなのかな。物事は起こるべくして起こり、意味がないものはひとつもない。そこから自分が何を学べるか、だと思う。どうしようもない、生きている価値がないと思うことがあるけれど、この世に生まれてきただけで祝福されていると思う。自分を甘やかしても良いんじゃないかしら。

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T-教育、学校はどうあってほしいですか?

K-今の学校は、会社人間育成工場。そうじゃなくて、一人一人の好きなこと、それを伸ばすような教育が必要。すべてが資本主義のためのシステムになっている。お母さんのおなかの中から墓まで、資本主義の奴隷みたいなもの。だけど、私はそうじゃない生き方がしたいの。もっと一人一人に向き合って欲しい。

資本主義が生まれてきたときは純粋だったと思う。でも今の資本主義には疑問を感じざるを得ない。物が沢山あれば満足?経済優先主義が、お金に換算できないものを認めてこなかったのね。里山の美しさ、百姓仕事もそう。お金は便利、生産性を考えれば効率的。ではなぜ、私は穀物を育てるのか?小麦の在来種を引き継ぐのか?

お金に換算できるものはほんのちょっぴり。換算できないものは・・・・田植えをしたときの心地よさ、それはお金に換算できない。草刈した後の美しい姿、誰にほめてもらうわけでもなく・・・。自分で料理することも、友達と会話することも、インタビューのこの瞬間も、私にとって価値あること。

2000年、高校生の頃、出会いがあったの。福岡正信著「わら1本の革命」とパーマカルチャー。「わら1本の革命」は衝撃的だった。真っ向からいろんなものを否定していた。福岡さんは自分の思想を表現するために農という表現を使っていた。それまで、資本主義万歳ばっかりの本しか出合わなかったが、福岡さんは資本主義を真っ向から否定していた。

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★福岡正信さん


T-パーマカルチャーについては?

K-中学生の頃、賭殺の本を読んだことがある。肉はこういうふうになってスーパーに並んでいることを知ってショックだった。ものがどこから来たのか考えたことがなかった。こういう育て方をして、こういう終わり方をしているんだ!その時、お肉を食べるのをやめようと思った。賭殺の話をしたが、親はわかってくれない。“お肉を食べないと成長しませんよ、困ったわね。”と母。

環境の本→「わら一本の革命」→パーマカルチャーと進んでいった。ビルモリソン著「パーマカルチャー」を読んだ。著者はタスマニアの小さな村で育ち、必要なものは何でも自分で作った。靴や金属細工、魚も獲ったし、作物も育て、パンも焼いた。仕事をひとつしか持っていないという人は見た事がなかったし、およそ仕事と呼ぶべきものを持っている人はいなかった。誰もがみんないくつものことをして暮らしていた。このような生活をしている人がいるなんて!!とすごく興味がわいた。それで、2003年パーマカルチャー・デザインコース(1年間、パーマカルチャー・ジャパン主催)を受けた。自給自足生活ってすごいな~、地に足が着いているな~と思った。受講生とも話した。出会いがあった。こういう生活を将来したいなと思った。

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★ビル・モリソン


でも、土地がないとな~、土地は買うものかな~、お金がないとな~と思い、知り合いの勧めもあり不動産屋さんに就職した。勤めて何年かたつ内に、理想とする生活と現実の生活とのギャップを痛感。収入はある程度あるが出て行くものも多い。

その頃、従兄弟の肝硬変が悪化し入院。3か月ほど集中治療室に入っていた。以前から入退院を繰り返していた。肝硬変から肺炎にかかり、長期治療のかいもなく危篤状態となった。2008年12月21日、奇しくもその日は私の誕生日。親族全員が集まり、最後のお別れに行った。従兄弟は体中管だらけになり喉には人口呼吸器をつけていた。喋ることもできず動くのは目だけ。薬で意識は朦朧としていた。お別れの挨拶をした。笑顔で話しかけたが彼を見て言葉に詰まり、目は涙で霞んだ。人は死ぬときこうなのだという姿を見た。帰り際、思った。彼は生きたかったはず。自分が彼の立場だったら?一体今までの私の人生は何だったの!?好きなことをやろうと決心さえすれば今すぐにでもできるのに・・・。お金がなく苦労しても、自分の生き方を貫こう!そう思い、会社に辞表を出し、自給自足の生活がしたいと思える場所を探しに行った。

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★鴨川自然王国


鴨川には以前遊びに来たことがあり、その時に鴨川って素敵なところだわ~と思い、でも伊豆も暖かくてカラッとした風が気持ちよくていいな~と思ったりしたが、まずは鴨川に寄ろうと思い、調べていくうちに「ふるさと回帰センター」を知り、鴨川を訪ねた際に寄ってみた。中学生の時、藤本敏夫さんの「ぼくの自然王国」を読んだことがあって、こういう大人の人がいるんだ~と思っていたので、回帰センターの人に“自然王国ってまだありますか?”ときいた。“まだあるよ”といわれ、自然王国へ行った。田んぼが綺麗で、一目ぼれ。気に入っちゃった。“すごくすてきな所だな、畑もあるし! あぁここで農業の勉強ができたら!”と思い、その場で人を募集していないかもしれないのに“働かせてください”と宮田さん(事務局)に言った。

宮田さんの方が目を丸くしてびっくりしていた。“まあ、落ち着いて。え~っと・・・とりあえずお茶でも”といって彼は自然王国の説明をしてくれ、“4月に研修生のT君が辞めるから、受け入れ可能かもしれない”といわれた。2009年5月から研修生として、自然王国に住み込むことになった。

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★藤本敏夫


T-自然王国はどうでした?

K-入った頃、忙しく、イベント続き。スタッフ石井さん(スタッフ)の調理補助をしたり、てんてこ舞い。農作業も初めてで、鶏糞袋1つ持つのもやっとという感じ。今は腕に力もついてもてるけど(^^)。20リットルの水タンクも動かず、スコップもささらなかった。でも、毎日やっているとできるようになるものですね。両親は、農作業なんて出来るのか?と思っていたので“1年間研修してダメならあきらめる、黙ってみていてください”といった。

自然王国で、当初はプロの農家になりたいと思っていた。でも農村というものがよく見えてきた。専業農家がどれだけ大変か。農薬を使うな、なんていえない。おじいちゃんおばあちゃん達は曲がった腰で草刈りして農作業している。どうして日本の農業は疲弊したのか?日本の農業政策やJAの流通システムなどに疑問を感じた。生産者と流通、消費者との間にズレが生じている。農家は個人販売システムがないために、JAにこんなに安い値段で卸しているの!?とびっくりする値段で農作物を納めている。

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★棚田風景


農家の社会的地位が低く見られているから、息子や娘には自分たちのような苦労をさせたくないと思い都会へ送り出す。農家は全滅するわけだ。でも、本当は百姓仕事ほど創造的で生命力あふれる素敵な職業はない。こんなに地球に近く、大地からの霊感をもらえる仕事はない。田んぼ仕事は瞑想にも通じ、健康にも良い。沢山のパワーをもらっている。地球と一体になった感じがする。田植えをしているとき、畑作業をしているとき、ふと手を止めたとき、風がさ~と通り過ぎていく瞬間に。

T-草取りはどうですか?

K-田んぼの中に生命があふれているし、一粒から何百倍も出来るパワーを感じる。草取り作業も最高。大好き。好きだからこそ専農になれない。この様な作業を日本円を稼ぐためにしたくないし、できないわ。こんなに愛情をかけて育てた“この子たち”を売るなんて私には出来ない。値段をつけたとき、とたんにむなしくなる。お米1俵¥12000といわれると、耳をふさぎたくなる。自然王国で2-3ヶ月たってから、そういう心境になった。

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★小鳥


朝日が差し込んで自然に目が覚めたり、小鳥のさえずりが聞こえたり、夜の星空や月光の美しさにため息が出て、蛙の大合唱に聴き入ったり、みかんの花のかぐわしい香りにびっくりしたり、木々が陽射しを浴びてキラキラしている瞬間、うっとりしちゃう!一人でほくそ笑んで“あぁ~私、幸せ”。って想う。

T-ご両親はどんな風?

K-先週日曜日に来たの。“ゆうちゃん良くやるね、俺たちには無理だよ”って。父は大学で電気工学の講師でこと母はホームヘルパー。やはり住み慣れた都会の便利な生活が良いみたい。家を見に来て以来、すごく心配してしょっちゅう電話やメールが来ます・・・。両親からみれば親不孝な娘ですよね。勤めを辞めて自由気まま!?な生活をしているなんて。でも私がここでの生活をすること自体には全面的に協力してくれています。というか私に言っても無駄だと諦めているのかもしれませんが・・・。何はともあれ、両親にはここまで育ててくれたことをとても感謝しています。これから少しづつでも親孝行をしたいものです。 

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★自宅

T-エコビレッジについては?

K-日本の里山はエコビレッジ以上の生活だと思っている。里山のいいところは、自然にエコ的な生活をしていること。食べ物自体自分で作っている人が多いし、みんな暮らし方の智恵がある。それは、ここに住む人が何百年もつちかってきたもの。手で何でも作っちゃうおばあちゃんの話は素敵。

ただ、良いところばかりではなく、変化を拒み、違う文化の受け入れに拒否反応を示すこと。里山は調和を大切にするが、それは今まで、その地域に限られた人しかいなかったため、生活の知恵としてそうなったのだろうけれど、今は外からいろんな人が入ってくるので、調和だけではすまない。だからこそお互いの意見を出してもっと良いものができると思うのですが、私は地元の人の気持ちも尊重したい。地元の人がご先祖様から引き継いできた土地や文化。それを守らなくてはという気持ちは良くわかるし大切にしたい。でも息子や娘は引き継がない、引き継げない。口には出さないが息子や娘が引き継いでくれることが一番の望みだろう。でも引き継いでも生活できない、自分のように苦労してほしくない。だから会社勤めを希望する。だからこのままだと、里山文化を引き継ぐ人がいない。移住者が引き継げれば引き継ぎたい。時間はかかるけどね。

エコビレッジはすばらしいが、今の私には必要とは思えない。

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★友人と


T-夢は?

K-家のから歩いていけるところに田んぼと畑がある家に住みたい。料理が好きなので、加工品を作って販売したいし、つるかごも作りたい。米粉を使ったパンやお菓子も。今、釜沼地区での炭焼きの弟子入りをしているので、炭焼きや生活の知恵を学びたい。みんなに大山の文化や暮らしを紹介したい。

T-一番苦しかったことは?

K-ほとんど忘れてしまったわ(^^)。

T-一番楽しかった事は?

K-毎日楽しい。でも、今が一番楽しいかな。自分の好きなことをしているからかな。田んぼと畑仕事が出来ている。毎日普通に生活できていて、友達が沢山いて、村のおじいちゃんおばあちゃんとお話も出来るね!

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★田んぼ

T-一番腹がたったことは?

K-“あなたはこうだ”と最近決めつけられたこと。私のことを知らないのに。逆切れしたわ。

T―一番大切にしていることは?

K-毎日普通に生活できることに感謝し、両親、友人、今まで出会ったすべての人に感謝すること。今まで、ご縁があって係わってきた人達に助けられて生きてこられたから。

T-一番愛しているものは?

K-この農村の美しさと地球と人と宇宙と、そのすべてかな。あんなに澄んだブルーの美しい星以外に住めません!

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★田植準備

T-一番許せないことは?

K-自分と周りを大切にしないこと。感謝の気持ちを持たないことかな。

T-情報化社会についてどう思います?

K-乗っていけないわ。インターネットはすばらしいツールだと思うけど。それってどうしても必要?情報の海に溺れそう。なくてもいいんじゃない?PCはたまに調べ物をするくらい。なるべく使いたくない。でも使い方しだいかな。う~ん、難しいね。

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★田植完了


T-生活費はどうしています?

K-貯蓄とcafé Enのアルバイトと千葉県の獣害調査の仕事をしている。本当は加工食品、民芸品作りなどを生活の糧にしたいわ。自宅でSHOPを開きたいし、サロンを開いてみんながいつでも集まれるところが出来ればいいな。

T-ありがとう。

安房ルネッサンス-ハリントン・エリさんインタビュー

安房ルネッサンス-ハリントン・エリさんインタビュー

田中正治

ハリントン・エリさんプロフィール

1974年生まれ。アメリカ、カナダで通算9年間を過ごした帰国子女。国際基督教大学高等学校から国際基督教大学人文科学科に進み、哲学と宗教学を専攻。卒業後はミュージカル俳優を志し、イギリスに演劇留学。ロンドンとパリで4年間過ごし、2002年に帰国。帰国後は演劇やライブ活動を続ける傍ら、ナレーション、通訳、翻訳、英会話教師を務める。2005年にクリス・ハリントンと出会い、翌年結婚。2007年からベリーダンスを学ぶ。2009年、クリスと共に千葉県鴨川に移住。
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★インタビュー時の写真



T-ずいぶん欧米での生活が長かったんですね。

E-父親が富士通の海外事業本部に勤めていたため、転勤先が海外だったんです。2歳から7歳まではアメリカのカリフォルニア州(L.Aとサンノゼ)、11歳から14歳まではカナダのトロントで過ごしました。大学卒業後は一年間お金を貯めてからイギリスに渡って演劇学校のミュージカルコースでトレーニングを受けました。ロンドンとパリで合計4年間過ごしました。
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★3歳。兄と近所の子供たちと。



T-大学時代、なぜ哲学を専攻したのですか?

E-元々、感受性が高く、考えることが好きな性格でした。それに子供時代から「自分とは何か?」「人生とは何か?」と考えさせられる状況がとても多かったのでしょう。

T-というと?

E-親の仕事の都合で国や学校を転々としていたため、常に自分が周りの皆とは異質な存在でした。アメリカで過ごした幼児時代、近所の年上の子供たちには随分かわいがってもらいました。一方、3歳のときにアメリカの保育園で白人の男の子に「君は顔がchubby(小太り)でbabyみたいだ」と意地悪く言われました。白人は子供のときから顔が大人っぽいのに対して、日本人は幼顔なんですよ。「日本人である私のこの顔を差別しているんだ」、と幼心に感じてしまった訳です。

当時は“Chinese Korean Japanese”という人種差別の歌もあって、子供たちが歌いながら指で目をつり目にしたり垂れ目にするんです。兄(6歳―11歳までアメリカにいた)は近所のいじめっ子に“パールハーバー!パールハーバー!”と言われたこともあります。
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★4歳。かわいがってくれたキャレンの背に乗って。



私の場合、2歳でアメリカに渡ったため、物心ついたのはアメリカでのことです。日本での記憶は一切ありませんでした。アメリカしか知らないのでその時の私にとってはアメリカが「祖国」でした。たくさんの良い思い出もありますが、幼い時から自分はアメリカにいる、黄色人種であるということを感じて育ちました。
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★6歳。学校の友達のAmyと。



7歳で日本に帰国しました。日本が本当の「祖国」ですが、私にとっては異国でした。母親は「日本の学校では上履きという靴に履き替えるのよ。ランドセルという学校用のカバンを持っていくのよ。お菓子やガムを持って行って食べちゃダメなのよ。」と事前に日本の小学校の様子やルールについて話してくれました。アメリカの学校との違いにはかなり不安がありました。帰国子女は海外でも差別を受けることはありますが、もっと深刻なのは帰国後のいじめです。帰国子女はただ単に英語(または他の外国語)を話せるだけでなく、日本人の子供とは自己主張の仕方が違ったり、しぐさや物腰が違うことでかなり異質な存在なのです。私は幸いにもいじめられはしませんでした。でもそれは周りの子供たちとの違いをさとられないように、自分を押し殺していたからでしょう。みんなと違うことをしないように、出る杭にならないようにしていました。はじめは友達ができるまで時間がかかり、それまでは本当に孤独でした。でも、子供ってすごい適応能力があってみるみる内に日本の生活や学校に馴染んでいきました。最初は日本語がちょっとあやしかったぐらいでしたが、クラスの中でもトップの成績をとれるまでなりました。日本での生活が楽しくなるにつれ、英語はどんどん忘れていきました。
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★12歳。土曜日に通っていたトロント補習校(日本人学校)で小学校6年生の卒業式の日。



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★13歳。現地校で保護者を招待してのミュージック・ナイト。私は真ん中辺りでバイオリンを弾いている。



11歳で父がカナダに転勤になった時には完全に英語が話せなくなっていました。また一からのやり直しです。カナダでは小学校6年に転入しましたが、授業が全く分からない上に、コミュニケーションがとれないからはじめは友達ができない。アメリカと同様に、カナダも多人種国家なので海外からの転入生はESLという特別なクラスで英語を学ぶようになっていました。日本人は私一人であとは香港系や台湾系の移民。そこへ日本人の女の子が転入してきました。その子は英語が話せないので、私が日本語でいろいろ説明していたら、“日本語って美しいのね”と先生が言いました。日本人としての誇りが芽生えた瞬間でした。
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★14歳の誕生日パーティ。左から香港人のキャサリン、韓国人のエスター、私、イラン人のメリアム、妹の裕子。



カナダの中学校では白人は白人同士でつるんでいたので私が最も仲良しだったのはその他の人種。イラン人、韓国人、香港人、パキスタン人…色々な国からの友達と過ごしていました。カナダではそういった移民の出身国についての学びもありました。ある日の昼休み、中国系のクラスメイトから第二次大戦中の日本の中国に対する悪行について話されました。“日本人は中国にひどいことをした。あなたの民族は本当に極悪非道で…”。数十分にもわたってその子は民族の恨みを私にぶつけてきました。はじめは、「なんで私がこんな話を聞かされないといけないの?私のせいではないのに!」と腹が立ちました。でも彼女の話を聞くにつれ、怒ってはいけないと思いました。受け止めなければいけないと、感じたんです。自分がこの多人種国家の中学校で日本という国を代表しているという意識がどこかにあったのかもしれません。
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★16歳。高校の友人達と。下の列、左から二番目が私。アイデンティティーに悩んでいた頃。女性であることにも抵抗があってまるで少年。


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★17歳。中央が私。高校の体育祭にてクラス対抗リレーのメンバーと。当時の私は陸上部で短距離走者。



中学3年生で日本に帰国すると日本社会に違和感を覚えました。特に北米では見られなかった儒教的なところです。たとえば先輩・後輩などに見られる年齢差別。部活なんかでも特に体育会系だと、たった一年だけ年上の先輩がすごく偉そうで、“なんだその様は!”後輩が“先輩、すみませんでした!もっと練習します!”欧米では軍隊にしか見られない現象です。男尊女卑も引っかかりました。なぜ、お茶くみをするのはいつも女子なんだろう?女性が男性に尽くすというのが当たり前になっているのがしっくりきませんでした。
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★18歳。高校卒業を控えて、仲良しの友人たちと。隣にいるのがオランダ帰りの華子ちゃん。



あと、気になったのは大人たちがどう見ても幸せそうに見えない。毎日満員電車で通勤しているサラリーマン。どうしてあんな苦痛を耐えて仕事に行かないといけないのだろう?

中学・高校時代、私にとって日本社会は不可解な場所でした。そして多感な時期なので自分のアイデンティティーに関して悩み始めました。私は海外に行っても所詮「外国人」。でも日本にいても「日本人になり切れない」。私は一体何者なんだろう?どこに行っても根無し草で周りに溶け込めない人間になってしまった。一体どこでどうやって生きていけば良いんだろう?

私が通っていた高校には帰国子女が多かったのですが、日本社会に何も疑問を持たずに順応して良い大学、良い就職先のレールに乗りたがっている人が大多数でした。幸いにも私のような変わり者のオランダ帰りの子がいて、私たちは毎日放課後になるとお互いの悩みを語り合いました。
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★18歳。大学の前庭で。



大学1年生の夏休み、いよいよ日本社会での生活が窮屈になり、2ヶ月かけて北米数都市を旅しました。その旅で人生を変えるようなことが起こりました。シカゴ美術館に行ったのですが、世界の絵画が大陸ごとに集められていてとても興味深かった。アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、アジア…世界中のアートを見た最後に日本のコーナーに行きました。そしてそこで見た水墨画にすっかり魅せられてしまいました。屏風(びょうぶ)に山と民家と人が描かれていて(今思えば里山風景?)、そのシンプルな美しさに完全に心を奪われたんです。何十分となく見とれていました。その体験によって私の日本に対する意識がガラッと変わりました。こんなに美しい芸術を生み出す自分の国のことをもっと知りたい、そして日本の美しさを世界に知ってもらいたい、と。
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★18歳。シカゴの街中で。






ちなみに、後に大学で「日本美術史」という授業をとりました。水墨画は中国から来たのですが、日本の水墨画は中国のとはどこか違う。中国の水墨画はダイナミック。日本の水墨画には“もののあわれ”がある。日本人特有の自然観、宗教観がにじみ出ている。その中に禅を見ました。

帰国したらすぐに大学の専攻を「日本研究」に変えました。学科間専攻制度を利用し、美術、宗教、哲学、歴史学、社会学、言語学という観点から日本を研究することにしたんです。そして、そこから得た学びを卒業論文「日本人の精神の根源としての母親」に集約しました。なぜ母親というところに至ったかというと、西欧では神と人間との関係が、父と子の関係に置き換えられていて、神への懺悔は、父親への懺悔を意味している。父親への恐れ、それへの罪の意識です。それに対して日本では、母親に対する自発的な罪悪感。全ての罪を許す母を苦しめて申し訳ないという。日本人の子供は、主に母親によって社会生活に適合するように育てられます。だから母親が子供の行動様式、価値観、人格の形成にもっとも大きな影響を及ぼすことになるといえます。
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★大学の前庭にて。南アフリカ出身の親友、ウェニーと。




以下、卒業論文「日本人の精神の根源としての母親」からの引用:

「母と子の一体感は日本人同士の一体感の根底をなしている。日本人の母親は子供を自分の一部として育て、また、そのために多くの犠牲を払う。親密な母子関係の中で育まれた一体感は子供が大人になっても、あらゆる関係の中で再現される。たとえば集団主義が成り立つのも、仲間同士の一体感が、個人のアイデンティティーよりも重視されるからである。」

「母子関係では、快・不快の原理がそれ以外の価値をすべて締め出してしまうため、普遍的な善悪の判断力が一番育ちにくい。日本人の特質として絶対的な善悪の価値基準がなく、物事が起きた状況やその対象により良し悪しが判断されるのも、その結果ということができる。日本人の心や考えの根底に母がいる限り、日本文化は西欧のそれとは違うものであり続けるだろう。」
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★19歳。日本をもっと知るために京都と奈良を訪れた。写真は京都で。






T―日本の文化と西欧の文化の良いところと、悪いところはどんなところでしょう?

E-大きな違いは、日本ではグループ単位での行動を好み、和を重んじる。西欧は個人主義。

グループ単位の良いところは、一人だけ良い思いをせず、みんなで全てを共有し、弱い人も参加して仲間に入れてもらえるところ。

悪いところは、一人一人の特徴が殺されていき、オリジナリティーが育ちにくく、出る杭は打たれるところ。相手に合わせなければならないのは面倒です。

でも、これからは変わらざるを得ないでしょう。良いところはもっと良くし、悪いところは他国の価値観の良さを取り入れればよい。両者の共有できる良いところ取りをするんです。各個人が世界のいろんな価値観に触れる機会が多くなり、新しい価値観を築きあげる時代になってきているのだから。新しい価値観は、グループ意識が持っている良さを中心に、個人の特徴を尊重する。安房のコミュニティーではそれが出来ていると思います。好きな時に好きなグループに関わり、楽しく過ごすことができます。
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★20歳。初めてのミュージカル出演。「マイ・フェア・レディー」のイライザ役を演じる。隣は仲良しの和恵ちゃん。






T-欧米文化の良いところと悪いところは?

E-個人主義の良いところは、自分のペースでやりたいようにやって、人に左右されないところ。教育がそうなっています。子供の頃から、「あなたは何がいいの?どちらが好きなの?」って聞かれます。小学校から自分の考えを語るトレーニングをします。才能やオリジナリティーを伸ばす教育です。周りと一緒でない方が良いんです。個人主義の悪いところは、一人勝ちし、自分だけ良ければいいってところ。だからグループの一員としての感覚が弱くなります。

日本と西欧の文化のもうひとつの大きな違いは全てをjudge(白黒の判断)する二元論的な思考の欧米人に対して、日本人は三元論だと思います。つまり白でも黒でもない灰色の部分が尊重されます。灰色にも限りなく白に近いトーンから黒みがかったものまで色々なトーンがあるので、もしかしたら多元論かもしれませんね。その時その場の状況や人々によって良しとされるものの判断がなされていくのです。

いずれにせよ意識の進化は、日本人の方が早いと思います。何故なら欧米思考では白黒の判断ができない人には存在価値を認めません。自分の考えとは反する意見は全面否定して自分の考えの正当性を主張します。私は世界のほとんどのことがYes, Noで割り切れないと思っています。全てを二つに分け、そのいずれかのみを肯定することで自己限定してしまいます。
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★21歳。初めて訪れたロンドンの街角で。右は妹。



T-コミュニケーションについて、まずYesとNoについてどう思いますか?

E-No はYesと同じように重要です。数年前、ある演劇関連の通訳の仕事のオファーが来たんですが、ギャラがとても良かった。でもその演劇は私にとっての芸術とは全く違うものでした。なのでNoと言いました。どんなに良いギャラをもらったとしても、自分の信念に反する仕事はするべきではないと思ったんです。数ヵ月後、その仕事でもらうはずだったギャラと同額の仕事のオファーが来ました。その時、自分の選択は間違っていなかったと確信しました。本当はやりたくないのにYesというと、そういうサイクルを自分で作ってしまいます。Noといえば、そういう仕事は来ない。そしてはっきり言ってもらったほうが相手もすっきりします。人生は常に50/50。そういうスタンスでやっていけば自分らしさを築いていける。相手の希望に沿うのではなく、自分が自分の人生の物語の主人公になるんです。だからNoという状況は“私はこういう人間だ”ということを確認して伝えるのにとても良い機会になります。
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★22歳。大学の卒業式。右が私。






T-日本人は共通点を軸にコミュニケーションしますが?

E-そうですね。欧米型コミュニケーションは論理的主張なのに対し、日本人のコミュニケーションは感覚的表現。欧米人はゲームのように主張を闘わせることを楽しむことができますが、考え方が違ってもそれで仲が悪くはなりません。けれども日本人は心と頭を切り離すことができない。自分の意見を否定されると、人格まで否定されたかのような気分になってしまう。だからまずは共通点から出発する必要があるのかもしれません。

クリスが初めて日本で会社勤めをしていた頃、同僚の意見に対して「そうじゃなくて、○○なんです。」と言うのが口癖だったようです。つまり、文頭でまず相手の意見を否定してから自分の主張を言う。完全に論理型のコミュニケーション方法です。当時、クリスが英会話を教えていた生徒さんがクリスにつけたあだ名が「そうじゃなくてクリス」。その生徒さんにクリスはいつも日本の会社の愚痴をこぼしていました。ある日、クリスがもう会社を辞めたいと伝えると、「そうか。辞めたければ辞めればいいと思うけど、日本ではクリスのようなコミュニケーションのとり方ではダメなんだよ。相手の言っていることに納得がいかなくても、まずは、『はい、なるほど。』と聞くことが大事なんだよ。それから『○○さんの仰ることは分かりますが、○○はどうでしょう?』ここで初めて話し合いが始まるんだよ。」クリスは自分のアプローチが日本ではうまくうかないことを知り、それ以降は日本的なコミュニケーション方法を実践しました。すると、確かに物事が円滑に進み、「そうじゃなくてクリス」の汚名を返上できた訳です。

私は日本にいる以上、「郷に入れば郷に従え」で、日本型コミュニケーションをとるべきだと思っています。その一方、自分が自分であることに遠慮はいらないと思っています。相手に無理をしてあわせる必要はないんです。自分を大切にする人は回りの人も大切にできます。私は、相違点に関しては悪いことだとは思っていないので、というより、誰に対しても50%は同意できるけど、50%は同意できないというのが大前提だと思っています。なので何か相違点があれば、“ああ、そうなんだ。私はこうかな。面白いね。”という感じかな。もしどうしても自分が正しいと思う場合は、相手がある日、気づくだろう、と手放します。その気づきのための種をまくことは出来る。その場で説得しようとは思いません。
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★イギリスの演劇学校時代。ショーの後、ピアノを囲んで。






T-欧米でのフェミニズムの体験は?

E-フェミニズムが起こった結果として、女性が自由に振舞うことができる社会になっていることを実感しました。一方で欧米のフェミニズムが目指すものは、男女差が全くない社会。フェミニズムを生んだイギリスでは女性達はエネルギーで言えば男そのものでした。パブでパイントジョッキを片手に、雄叫び声をあげながらサッカー観戦をする様子はまるで男そのもの。何かを履き違えているんじゃないかなと思いました。男性エネルギーの強い女が生まれていき、女性的な魅力がなくなってしまっているんです。女性が本来持っている“やわらかさ”をなくし、男性と肩を並べて闘って自分の運命を勝ち取ることが良しとされるようになった。でも女性の幸せは、男性とあらゆる面で同等になることではないと思います。肉体的、生理的、情緒的違いがあるのだから。
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★ロンドンでのショーに中国人のキャラクターの役で出演。






フェミニズムという現象を理解するためにはまず現代文明が男性原理に基づいていることを知る必要があります。有史以前の文明では発掘される壁画、女性像などにより、女性性が崇められていたことが分かります。この時代は平和で自然との調和を大切にしていて、人を殺すための武器などは発掘されません。男性原理社会の起源は紀元前7000年~9000年前、現在のイラク辺りで始まった支配的農業が発端だと言われています。農業の生産性を高めるため、土地争いが起き、勝者が弱者を支配する階級社会ができあがっていったのです。階級社会の上に立つのは男性です。なぜなら闘いがあれば人や部族を殺し、土地を奪うのは力の強い男性だから。女性は子供を育てるために家にいました。その結果、男性の方が強くて優れているという観念が作られていきました。そして女性は男性の所有物となり、権利や自由をなくします。英語の“history(歴史)”ということばはよくよく見ると、“his story”ですよね。“彼の物語”なのです。つまり男が築いてきた歴史なのです。ヨーロッパではローマカトリック教会がそれまでにあった土着的な女神信仰を徹底的に弾圧しました。そしてそれまで部族の精神性の中心を担っていた女性たちが標的とされていったのです。中世ヨーロッパで起きた魔女狩りは罪のない女性たちの大量虐殺です。女性であることだけで社会に脅威を与えるという病的な信念の表れです。このベースにはキリスト教が人々に刷り込んだ観念が大きく関わっていると思います。旧約聖書のアダムとエバの話が良い例です。エバは蛇にそそのかれて、神様から食べることを禁じられていた善悪の知識の木の実を食べてしまいます。さらにエバはアダムにもその実を勧めます。その結果、二人は楽園から追放され、エバは出産の苦しみと男への従属という罰を与えられます。

この話のメッセージはつまり、女性は「悪」に染まりやすいので男性に従うべきだ、ということなのです。そんな話が人類の起源だと信じている西欧社会ですからフェミニズムは当然起きる必要があったと思います。でも残念ながら、その結果が女性性の否定です。女性の身体をもっているのに思考や行動は男性的。男性社会で男性と同等に扱われたいと思うのであれば、そうならざるを得なかったのでしょう。今先進国では、女性器に病いをもつ女性がとても増えています。男女の肉体的、生理的、情緒的な違いを無視したつけです。身体は自然そのもの。精神や思考が病んだときには必ずサインを出してくれます。この場合は、「自分の中の女性性をもっと大事にしなさい!」ということなのです。
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★イギリス時代。ディナーショーで共演した友人達と。



T-日本のフェミニズムについては?

E-日本の場合、弥生時代に大陸から稲作の技術が導入されました。その後、支配的農業、土地争い、階級社会という世界の他の地域と同じ現象が起きます。中世の武士社会で男尊女卑が広がり、儒教の導入でそれが定着したと言われていますが魔女狩りのような現象は起きませんでした。元来、西欧社会のような「女性=悪」という観念はないし、家族の精神的なよりどころが母親であっためだと思います。黒船来航以降の西欧化、そして第二次大戦後の「欧米に追いつけ追い越せ」の風潮の中、あらゆる側面で西欧方式を取り入れます。そして表面的な意味での日本人の西欧化が進みます。フェミニズムも日本にやってきましたが、西欧のそれとはどこか違ったものになっていると言われています。その理由はやはり母なるものへの思慕が根底にあると思います。
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★神谷町のアメリカンクラブにて。フェミニズム運動の象徴、イプセンの戯曲「人形の家」でノラ役を演じる。



21世紀に入り、人類は男性原理に偏った社会や文明が持続不可能だということを実感し始めています。なぜならそこから生産性や効率性が重要視される資本主義や消費社会が生まれ、自然を支配して搾取し続けることが良しとされているからです。人類の歴史を振り返ってみるとローマ帝国以来、大英帝国も、アメリカ帝国も、西欧文明は他国に侵入して植民地化し、人々を弾圧、虐殺し、資源を搾取すると同時に自分の文化を押し付けるというパターンを繰り返しています。去年、「アバター」という映画が大ヒットしましたが、あの映画のメッセージは今の男性原理の文明への警告です。このままでいくと地球はおろか、地球外の惑星にも迷惑をかけてしまうよ、という。

平和で循環的な社会になったとき、フェミニズムは不要になります。生命という神秘を生み出す女性に対する尊厳が社会に生まれるからです。女性性を崇めていた縄文時代のように。
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★青山にてイランのスーフィ・バンドをバックにダンサーとして出演。



T-縄文的なものへの移行はどのように?

E-縄文的なものに移行するには、今の私たちの文明が男性原理に偏りすぎていることを知り、女性的な価値観を取り戻すことです。

よくこれからは「女性の時代」だと言われます。これは女性が男性に取って代わって政治・経済を操るということではなく、全ての人の中にある女性性を復活させ時代なのだと私は解釈しています。つまり、「女性性の時代」なんだと思います。男性の中にも女性性があります。男性性、女性性とは何かと言うと、タオイスト(道教)に言わせれば、男性性の特徴は陽性で行動的、競争を好み、勝ち取っていく。論理・思考型、左脳的で直線的。女性は陰性で、受容的、調和を好み、委ねることができる。感覚・直感型、右脳的で曲線的。現在の男性原理が中心の社会では、男性性の特徴に価値がおかれています。より“生産的”だからです。私たちにはそういう価値観が植えつけられています。

でも、自然界では常に動的、静的という二つの対極にあるエネルギーが循環しながら完璧なバランスをとっています。例えば四季というひとつのサイクルがあります。春、生命が芽吹き、夏、生命エネルギーはピークに達し、秋、実となり、冬、種が土の中で栄養を蓄える。冬はまるで何も起きていないように感じられるかもしれないけど、実は次の芽吹きに向けて大切な生命活動をしているのです。なので人間もそうあるべきなんです。現代社会では人々は常に行動的で何かを生み出さないといけないという状況にいるために、どんどん不自然な生き方になっていっているんです。
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★下北沢のトルコレストランでのベリーダンス・ショーで。






男性も女性も、自分の中にある二つの対極的な要素のバランスを取り戻す必要があります。

まずは女性が変化していくことが大事だと思います。女性性が無視されていることでより苦しんでいるのが女性だからです。そして、より感覚的な女性の方が意識の変化が早いと思います。「本当の私の幸せって何?」と問うことが大事です。

近年、ベリーダンスが女性の中でブームになっています。習いたいダンス部門ではフラダンスと並んで1位。女性たちの目覚めの現われだと思います。古代から中東に伝わるベリーダンスは女性の美しさ、強さ、神秘性を最大限に表現できる踊りです。素敵なベリーダンサーを見ると、男性は“女性には適わないな…”って感じになる。女性はとてもパワフルなんです。

女性が自分のもつ本来の能力、美しさ、強さを実感して女性としての幸せを得たとき、男性も女性に対する考え方が変わります。「女性ってすごいなー」って。そしてこれまではどちらかというと男性の生き方を女性がサポートしてきましたが、これからは男女がお互いをサポートし合える関係性になっていくでしょう。

また、次世代の人材を育成することにもっと価値をおく社会へ移行することも大切です。子育て、保育、幼稚園・小学校の先生などの仕事が尊重されるようになります。次世代を担う子供達を社会がハッピーにする、それが大人の責任です。

フェミニズム(女性主義)のおかげで女性はある程度の社会的地位を得られました。これからは本来の女性の力や美しさを引き出すフェミニニティー(女性性)の復活が大切です。虐げられた女性性の復活の時代が来たのです。

そして新しい価値観をもつ社会への移行は闘いで勝ち取るのではなく、“静かなる革命”でなければいけないと思います。“問題を解決するためには、その問題を引き起こしたマインドセットのままではできない。”とアインシュタインは言いました。つまり資本主義社会、大量生産大量消費社会という問題を持った現代社会を変えるには、この社会が生み出した「闘う」という観念によってではなく、異なった観念を創ることから始まる。まず、自分から変わること。そして自分の家族、隣の家族たちへ、自給組合からコミュニティーへ。そこから変えていくんです。焦ると男性的社会になっていく。闘いになってしまう。トータルに流れに従って、自分の役割を果たしていけばいいのです。そして、さらに言ってしまえば“静かなる革命”は、外の世界に起きている現象に対して働きかけるのではなく、まずは一人ひとりが自分の内面を見つめ直すところから始まると思います。どうしても闘うのが好きなら“内なる闘い”によって、自分の中の不要な価値観や観念をやっつけてからにしてください(^^)
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★葉山の海の家でのベリーダンス・ショーで。






T-神・人間・自然についてどう考えます?

E-宗教に関しては多様な人種が住むカナダにいる時から考えさせられることが多かったです。高校がキリスト教系だから「キリスト教概論」という授業があったりして、毎回授業が楽しかった。原始キリスト教ではイエスが「愛」を説いています。聖書の記述は必ずしも正確ではなく、後世の人々が政治的思惑によってだいぶ編纂されています。私はイエスが説いた「愛」の部分にとても共感できたので、当時はキリスト教に対してポジティブな気持ちがありました。期末試験の問題はただ一つ。「神の存在を信じますか?」という問いに対してエッセイを書くなど、とてもやりがいがありました。もちろん神の存在を全面否定した生徒も、それで落第になるということはありませんでしたよ^^。

高校時代には、日本の宗教感覚のなさが“だらしない国だなあ”と思っていました。というのも、平均的日本人は神社に初詣に行き、結婚式は教会で挙げて、葬式やお墓は仏教式。日本人は一体何を精神性の「軸」として生きているんだろう?と。だから余計に「軸」があるキリスト教や西洋の思想を肯定的に捉え、大学では西洋哲学と宗教を専攻することにしました。

でも例によってシカゴ美術館での体験以来私は日本文化に傾倒し始めます。そして日本の宗教観について学び始めました。かつて日本の“だらしない国だなあ”と思っていた部分がまさに日本の素晴らしさだと思うようになったのです。つまり、日本の宗教観の素晴らしさは、宗教的観念で固められていないところ。ドグマに縛られていないのです。自分の宗教の観念を掲げて、相手の宗教を否定する必要がない。だから、宗教戦争なんて起きようがない。とにかく日本人は「神」というパッケージにこだわらない。八百万の神の国だから。これは日本が誇れることだと思います。
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★大崎のカフェでのイベントで「風」をテーマに踊る。






小説「沈黙」の中で遠藤周作はこう書いています。「デウス(イエス)と大日と混合した日本人はその時から我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、そして別のものをつくりあげはじめたのだ。」「この国は沼地だ。……どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった」

遠藤周作ご本人はキリスト教徒で、こういった日本人の精神的土壌を嘆いていました。でも私は何故、日本がこのような「沼」なのだろう?と気になったのです。そして日本人の精神性の根底には縄文時代から始まったといわれる古神道が根強く残っていることに気付きました。古神道と外来の宗教の影響を受けた後の現在の神道は違うものだと言われていますが、現在の神道の中にも原始神道の教えを垣間見ることができます。神道はアミニズムの延長で、いわゆる教典、教義がありません。あるのは古事記、日本書紀などに綴られている神話やそれに基づいた儀式です。儀式で言えば海や川で心身の穢れを流して清める禊(みそぎ)がよく知られていますが、そこから“水に流す”という感覚が生まれていると思います。

黒船来航以降、国家神道の元で軍国主義に走った日本ですが、原爆を投下されて一気に改心したといわれています。“すいません、悪うございました”と。民族としてはちょっと特殊で、過去の忌々しい出来事に執着しないのです。だから自分の非を追求しないし、相手の非も追求しない。水に流すことが出来るんです。それが戦争責任に関する感覚の違いを生み、世界から批判される所以だと思います。

日本は敗戦後、奇跡的な経済成長を果たします。西欧の文化や技術を何の抵抗もなく巧みに取り入れ、経済大国になり、アジアで唯一の先進国入りを果たしました。特定の文化や技術はその背景にある思想と結びついています。西欧に滅ぼされた他の国々は自分の国の思想や宗教を守るために西欧の文化・技術を避けました。ところが日本人は西欧の文化や技術を取り入れることによってアイデンティティーを脅かされることはなかったんです。絶対的な観念がないから、他国の文化からおいしいとこ取りができるんです。でも他国の思想や宗教が根付くかというと、そうはいかない。日本人の「沼」と呼ばれる精神土壌は、ある意味最強だと思います。
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★伊勢神宮で神嘗祭に参加。五十鈴川にてベリーダンスの師匠、ミシャールと。



2008年に神道の総本山、伊勢神宮に行きました。神道の素晴らしいところは山、木、石、水などの自然そのものに神が宿っているということを暗に示していることです。拝殿には鏡が置いてあります。つまり、神様を拝みに来た人は偶像ではなく、鏡を拝むことになる。「あなたの中に神がいることを知りなさい」というわけです。そもそも日本語の「かがみ」ということばの中にコード(暗号)が隠されているのですが、伊勢で聞いた話を元に詩を書いてみました。

「かがみ」

かがみは私を映す

「か」「が」「み」は私に教えてくれる

私は「か」と「み」の間に「が(我)」をもつ存在だと

そして「が(我)」をなくしたとき、私は自分の中の「かみ(神)」とつながるということ

かがみの中に自分の真の姿が見えるとき

自分が本当は神だということを知る

「生きとし生けるもの全ての中に神がいる」というのはインド哲学にも通じる観念ですが、偶像崇拝を促す宗教を超えた世界観だと思います。神とは人を弱い立場に置いてコントロールするのではなく、逆に人をエンパワーし、強くするものだと思います。そうでない神(宗教)は人を支配するための政治的ツールです。

先ほどのアダムとエバの話でも分かるとおり、キリスト教の教えでは人はそもそも「罪な存在」なのでマイナスからスタートしています。だからどうしたら神に喜ばれるかを常に考えて行動しなくてはならいない。そして悪いことをしてしまったら教会に行って神に赦しを請う必要があります。でも神道では“あなたの中に神がいる”ですからね。対極ですよ。日本人のこうした観念はむしろ世界遺産と考え、無形文化財として輸出すればいいと思う。^^(笑)

因みに神社へお参りする行為は何を意味しているかというと、鳥居(子宮口)をくぐって参道(産道)を進み、お宮(子宮)へお参りして再び参道を通って鳥居をくぐって出てくる。日本人にとって信仰とは母の胎内に戻り、生まれ直すためだと解釈できます。ここでもやはり「母」というキーワードが出てくるのが興味深いです。そして母の胎内とは生命の根源であり、つまり神そのものなのだと思います。だからお宮(子宮)には鏡が置いてある。
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★大崎にてクリスとのユニット、Ritualの演奏。「大地」というテーマでクリスはインドの笛、私は詩の朗読と歌を披露。





私が最終的に至ったのは、神なるものや自然の神秘を前にしても人間の思考ごときでは到底解明できるものではないのだということです。どんなに言葉を羅列して論理を並べても、どんなに科学が進歩しても、神や自然の力には到底適わない。また、西洋哲学は普遍の真理を追い求めますが、空回りしているだけに思えます。そもそも普遍の真理なんてものはあるのでしょうか?またあったとしても、私達の三次元的制限のある思考や言語で表現できるのでしょうか?だから人は全てを思考や論理で解明しようとせず、自分よりも大いなる力、神や自然に委ねれば良いのだと思います。

それと同時に私達一人ひとりの中に神がいるのです。一人ひとりがとてつもない力を秘めています。さっき言ったことと矛盾しているように聞こえるかもしれません。でも私はこの世の真理というものは全てがパラドックス、逆説なんだと思っています。常に対極にあるものどうしが同時に真理なのです。逆に言ってしまえば、逆説的に現せないものは真理とはいえないのかもしれません。

神と人間の逆説をこういう風に表現できます。「自分を自分より大いなる存在である神に委ねたとき、初めて自分の中にある神なる部分に触れることができる。」

日本、そしてアジアの思想にはこの感覚が根底にあると思います。
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★青山で開催されたショーでインドの踊りを踊る。






先月、古典インド舞踊の踊り手から興味深い話を聞きました。

「そもそも人は何故踊るのでしょうか?インド思想では、人間は神聖なスピリット(魂)から切り離された個別の魂とされています。個別の魂である以上、「神」とはあまりにも壮大な概念なので、実感することが難しい。そこで「形のないもの」を「形にしたい」という欲求が生まれます。神聖なるものを視覚化するにより、そこに近づき、触れたいという欲求が満たされるのです。つまり音楽、踊り、絵画、彫刻、詩、などの芸術は神聖なるものをこの次元に再現したいという欲求の表れであり、神を表現する手段ということになります。神聖なるものを降ろして表現するためにはそれにふさわしいクリア(清らか)な状態でないといけません。クリアな状態にある踊り手は一種の瞑想状態に入り、神を体現することで別の次元につながれます。そして大きな癒やしとパワーを得られる。また踊り手を観るものにも同じことが起きます。そこで集合体としての連帯感、一体感が生まれて、さらにエネルギーの循環が起きます。」

芸術が神に近づく最も有効な方法なのかもしれません。
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★大崎でのショーで「火」をテーマに踊る。



以下、卒業論文「日本人の精神の根源としての母親」からの引用:

「西欧人は自分の文化に誇りを持つあまり、日本や東洋の文化を否定することを避けるべきである。逆に日本人は独自の文化に自信を持つべきであり、国際社会でなぜ日本人が“ユニーク”と捉えられるのかを気づかない限り、理解されることは不可能である。日本は確かに国際社会に適応するために、変化し続けているが、必ずしも理想的な方向に進んでいるわけではない。」

「西欧文化を肯定することで、その長い歴史の間に培われた独自の文化が否定されているからである。しかし日本人の西欧化にも限界がある。なぜなら今でも伝統的な価値観や考え方が日本人の中に残っているからである。いい意味での変化は、自分たちの文化を肯定しつつも西欧から補うべき要素を学ぶことから始まるのではないだろうか。」
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★大崎でのショーで「女神」をテーマに踊る。






日本人は精神性の分野で世界的リーダーになる資質を持っていると思います。例えば、論理的観念を持っている人が日本にやって来ると、日本社会がどう成り立っているのか分からなくなって自分の価値観が根底から揺らいでしまう。その結果、ひたすら“日本はおかしい”と否定して自己の正当性を図るか、逆に日本人の価値観をもっと学ぼうと思うか、どちらかのタイプに分かれます。“沼”の性質をもつ日本人の精神性に触れたときに、自分の価値観が根底から揺らいで立場をなくし、信じるものがなくなってしまうんですね。

それとは対照的に、日本人は観念的なポリシーがないので、論理的なものが入ってきても、“私たちも考えなければならないね”とそれを受け入れてしまう。受け皿がものすごく広くて強い。

そして日本は“人”がすばらしいと思います。平和で調和を大切にし、相手に気遣いができる。よく「平和ボケ」と国内外で批判されますが、おかしいのは日本人ではなくて平和でない国々なのです。日本人の平和ボケは財産です。世界遺産と捉え、日本国宝として温存すべきなんです^^。

ところで「どんな苗も沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。」というのは正確ではないんですよ。日本人が元来主食としている米は水田という“沼”で育ちます。そして、蓮は泥沼に根を張り、美しい花を咲かせます。そのために仏教では蓮の花は「悟り」の象徴とされています。

サイクルで言うと西欧文明は冬の時期です。これからはアジアの時代です。もう西洋崇拝は終わりにしないといけませんね。日本の良いところを再認識するべきです。それは日本だけでなく、世界にとっての財産となるのだから。日本は“沼”から美しい「悟り」の花を咲かせることでしょう。
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★新宿のバーでクリスがサックスを演奏したときの写真。



T-クリスとの出会いは?

E-クリスとの出会いは私の人生を決定的に変えました。クリスのおかげで自分の中の痛みを癒し、より自分らしく生きていけるようになりました。彼は私の魂の双子(ソウルメイト)で鏡のような存在です。私の良いところも悪いところも映し出してくれる。クリスと出会ってからはものすごいスピードで魂の成長が進んでいます。2005年に面白い瞑想体験をしたのでそのことを綴った日記を紹介します。

「ヨガをやった後に静かに横になっていました。するとイメージが見えてきました。自分が横になったままの状態で空に浮かぶ光の物体に向かってゆっくり吸い込まれていく。下を見ると自分の体はまだ地面に横たわっているので、「ああ、私は死んだんだ」と分かったのですが、気持ちはとても落ち着いていて何の抵抗もなく光の物体に吸い込まれました。光の物体の中には人間のように姿形をもたない、光の存在がいて、声が聞こえてきました。

「よく頑張ったね。地球を去る前に願いごとを一つ叶えてあげよう。」

「私は自分が地球に生まれてきた意味を理解したと思うのですが、 確認したいんです。地球を一周してもいいですか?」

「いいよ。」光の物体は一瞬の内に地球を一周し、この世界の始まりから終わりまでの全てが分かりました。

「ああ、やっぱり自分は全てを学んだんだ。」と思いました。すごく満ち足りた気分でした。

そして最後に残ったのは私の魂の片割れに対する想いでした。私はこの人生で多くのことを学んだけれど、それができたのもあの魂が無償の愛を与えてくれたから。クリスに対して痛いほどの感謝の気持ちと、また会って恩返しをしたいという願いでいっぱいになりました。 私の魂は愛で震えました。光の存在はそんな私を暖かい光で見守ってくれました。

この体験で分かったことは、私達は愛を体験するためにこの世に生まれてきている、ということ。愛の体験を妨げるのは過去に受けた傷だったり、恐れから発する欲望だったり、喜びとは無関係の信念だったりします。それらを乗り越えるのを助けてくれるのがソウルメイトや、その他の大事な学びの機会を与えてくれる魂たちなのでしょう。そして最終的には「愛」しかないんだな、ということが実感できました。他のものは全て「幻想」です。

「愛」のみがリアルで「愛」が全てです。」
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★東京の街中で。



T-愛とは?別の言葉では?

E-「愛」とは「神」です。

ビクトル・ユーゴも小説「レ・ミゼラブル」の中で書いています。

「人を愛するということは神の顔を見ること」
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★鴨川の釜沼北集落にて田植えの日。



T-自分を世界市民だと思っていますか?

E-世界市民というよりも、宇宙市民だと思っています^^。思春期の頃、自分のアイデンティティーについて悩んでいましたが、クリスが私の故郷です。そして私達の所属は「地球」、部署は「日本」で、担当は「安房」かな(^^)。鴨川で起き始めているコミュニティー的な生き方は世界に影響すると思います。鴨川に移住してくる若い人達は、現代文明から脱却しようとしている。半農半Xという新しい生き方をして。そしてアーティストがとても多い。生き方そのものがアートしているんです。そんな生き方をいいなと思って見ている人たちもたくさんいます。現代文明や都会というマトリックスから抜ける人が増えているのは、抜け出た人達が楽しそうな生活をしているから。私たちはそういう影響力のある立場にいる。日本が変われば世界が変わり、宇宙に浮かぶこの星が良いエネルギーを発する。そうすれば「アバター」のようなことは起き得ないのです。
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★今年の4月にオープンしたawanovaの前での集合写真。



T-鴨川での夢は?

E-地域の人達がそれぞれの役割を担いつつ、人類の知恵と技術を集結した新しい価値観をもとに里山文化・循環型集落を復活させること。それが銀河縄文時代の始まりです。鴨川での里山文化・循環型集落が日本の他の地域にとってのひとつの良いモデルになれば良いと思います。そして国内に留まらず、海外にも良い影響を与えていければ良いなと思っています。

ハリントン・エリのブログ : http://elli.harrington.jp/

安房ルネッサンス-ハリントン・クリスさんインタビュー

安房ルネッサンス-ハリントン・クリスさんインタビュー

田中正治

クリスは、1968年、USAロードアイランド州生まれ。小さい牧場で育つ。元米海軍第七艦隊音楽隊サックス奏者。日本暦23年。1993年IT業界に、以降は3Dコンピューターグラフィックス、ウエッブ制作、デジタル放送制作、プロジェクトマネージャーや経営。現在は鴨川在住、在宅翻訳家(日英)。妻のエリと二人暮らし。エリも時々登場します。6時間の長時間インタビューでしたが、要点のみのレポートになります。(田中)
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T-1991年の湾岸戦争に参戦したとのことですが・・・・。

C-サウジアラビアのテント村や空母で演奏したりで、半年は船で宿泊していて、直接戦闘には参加していません。海軍に入隊した多くの人は直接面と向かって戦わない人です。

湾岸戦争は始めてメディアがリアルタイムで参加した戦争です。CNNで見た戦争だったのです。ハリウッドのイメージですね。先にフィクションを考えて、後にそれを実行したのではないか。テクノロジーの進化が、先にフィクションに描かれ,後に実行されていくように。SF思想家が未来を想像し、科学者が後にそれを実現したように。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%BE%E5%B2%B8%E6%88%A6%E4%BA%89

T-クリスの湾岸戦争に対する立場は?

C-100%戦争反対、暴力反対です。ヒンズー教のカルマの理念からいっても、またニュートンの熱力学の法則からいっても、暴力の使用は必ず自分に返ってくるからです。

高校のころの先生(たぶん元ヒッピー)からヒンズー教の経典(ウパニシャド)を学んだのです。僕は無神論者だったのですが。因果応報、輪廻転生は空論とは思われません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E6%95%99

でも、それらを100%信じているわけではありません。99.9%しか信じません。最新の哲学思想の中でも、絶対正しいうことは証明できない、何もかも主観的に考えるしかない。当事者にとって主観的にどうかが問題なのです。2人の当事者が喜んで喧嘩していて、2人ともハッピーで周りに害を与えなかったら、いいとしかいえないじゃないですか。

暴力は結局、自分に返ってきます。怒りは、血中にストレス物質を蓄積し、病気への抵抗物質を減少させます。従って、怒りはよくないですね。90秒間、無の状態になればストレス物質は収まります。怒りは、自分の内部にストレスを発生させると同時に、他者に怒りを起こさせます。怒りが光に変わるまで。
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T-光に変わるとは?

C-光とは愛であり慈悲(許し)、思いやりです。愛、慈悲、思いやりに変化することです。

ヨーロッパ・ジプシーは、迫害されてきた民で、痛みを蓄積してきました。ですから、もともと、怒りを光に変える方法を見つけていたのです。音楽や踊りがそれです。先住民もまた、儀式や祭りや踊りによってストレスを解消してきたのです。人間はそうした営みとともに進化した動物といえるでしょう。

T-今回の巨大風力発電建設の問題ですが、低周波音など住民に深刻な被害を与える可能性があり、生存のためにその建設をストップさせる運動が必要で、怒りをもって闘いを挑まなければならない場合があると思いますが?

C-風力発電建設がストップしても会社側としては整理がつかず、仕返してやりたいと思っているかもしれません。だから本当は、怒りをもたないで、相手を理解し、価値観が違うんだということを知り、かわいそうだという考えになれば、相手も冷静になりうる。解決策が見つかる可能性があります。

怒りの問題と別にもうひとつの問題があります。規模の法則です。ある大きさを越えると網羅的に物事を理解できなくなります。権力者はそういう状況が都合がよいのです。規模がある大きさを超えると権力者は少数者に対してパワーを持つ。そして、絶対権力は腐敗するのです。人間はその程度の生き物で、資本主義でも民主主義でも共産主義でもその法則は働きます。トップが善良であるという前提でしかシステムは成り立たないし、トップが特別な人間でない限りシステムは悪化するのです。

これからの新しい社会、文明でも、ある規模の中でこそ、その善良さがありうる。それを超えると絶対権力になる。そのことを理解しておかなければならないのです。コミュニティー単位で行うのが基本。中国のように大きな国で、大河がたくさんあるところでは、コミュニティー単位で対応できない例外はある。その場合もコミュニティーがどのような働きをするか考えなければならない。
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T―では、小規模化するにはどうしたらよいのですか?

C-自然に放っておく方法があります。規模の限界が出てきて破綻するか、分化するか、独立します。でも放っておくと、犠牲が大きくなるので、大組織に頼らず、小さく自立すればよいのです。情報テクノロジーの歴史は、大規模化から小規模化への必然を教えています。20世紀、中心をつぶしたら村社会や流通は成り立たなかった。でも21世紀、情報に関しては、中心に頼ることはなくなりました。パソコンやインターネットによって、情報は世界の財産になっているのです。細分化に適した道具なのです。大きい規模を保つ理由はないのです。

実際、中央集権的に情報を管理することは無理になりつつあります。テレビや新聞は無意味になっていきます。一人一人が情報発信のプロになっていきます。最も、中央集権的システムは生き残りたいのですが、でもパワーを失っていきます。地域コミュニティーはネットを使ってやっていけるでしょう。インターネットで育っている子供たちには創造の限界がありません。現在までの人には物理的限界がありましたが。大規模化がインタネットを生み出したともいえます。大規模化には必然性があったのですが、今、その役割は終わろうとしているのです。

T-グーグルとマイクロソフトの違いは何でしょうか?

C-マイクロソフトは時代に逆行した存在です。一般にはハードウエアとソフトウエアをセットに販売されています。技術者は、ハードが変わるとソフトを新たに作らなければなりません。ところで、マイクロソフトの前にFree softがありました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3

パソコンが登場してきたとき、ソフトはFreeだったのです。その仲間に入っていたビルゲイツはFreeでなく、お金を取るべきだ、ビジネスチャンスだと考えたのです。

母親がIBMの幹部の友人だったということもあったのかもしれません。IBMとOSの開発を契約したのです。知り合いからOSを買ってきてちょっと変えてIBMに売ったのです。それがマイクロソフト社です。新しい物が出てきたら、パッケージを替え、製品化していった。ソフトウエアに価値(知的所有権)があるとし、コピーガードをしたりして価格維持をしてきたのです。

これからはソフトウエアではなく、サービスに価値が移っていくことは、マイクロソフトもわかっています。マイクロソフトの時代は終わりです。無料ソフトが登場してきていま す。とはいえ、ウインドウズに比べて出来ないことがあります。たとえば書体。今はまだ乗り越えられていません。でも、ハードルが越えられれば、一気に変わるでしょうね。
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T―グーグルとは?グーグルの理念は?

C-グーグルは、たとえば「“最高” に甘んじない」「悪事を働かなくてもお金は稼げる」[ウェブでも民主主義は機能する]などの理念を掲げていて、実際ITの世界に貢献しています。ほとんどの収入は広告収入で、安定した経営のうえで、OSをはじめ、さまざまなソフトのスポンサーをしたり、サービスを無料で提供しています。パソコンでやりたいことは、グーグルの無料サービスですべて可能です。世界のトップクラスの技術者を集めているといわれ、職場がシンクタンクのような状態です。

http://www.google.com/intl/ja/corporate/tenthings.html

T―グーグルも独占化、帝国に向かっているのでしょうか?

C―無料サービス化によって独占に向かっています。でも、90%の独占率を狙っているとは思えません。グーグルのサービスは理想型にはなっていません。あえて理想型を作っていないのかも?自らを制限しているのかも?ユーザーはそれ以上を求めていないと考えているかも?競争の余地を残しているかのように見えます。完全支配の帝国にはならないと思う。7:3とか8:2を狙っているのかもしれません。「悪事を働かなくてもお金は稼げる」という理念と関係あるのかもしれない。グーグルが帝国になれば、優秀な技術者はグーグルを辞めて他へ向かうでしょう。

T-パソコンはどこへ向かうのでしょう?

C-オープンソースに向かうでしょう。大学生はお金がないので無料のものを使います。特に、クリエーターは。若者が何をしているか、そこを見れば未来が見えます。結果的にそういったユーザーが望んでいるのはOpen Sourceなのですから。

T-Linuxの未来は?

C-Linuxの技術者の半分以上は企業に雇われていて、その企業が開発した技術はオープンにしています。Open Sourceのソフトがあって、その企業にとってある機能だけ足りないと、その機能の開発を自社で雇うLinux の技術者に開発させているのです。オープンなものに貢献したほうが企業コストに合うからです。機能は進化していくでしょう。その結果、企業も、マイクロソフトから独立していきます。http://ja.wikipedia.org/wiki/Linux

T-ユビキタス社会について、どのようにおもいますか?

C-1998年ごろ、ITの自営業をしていたのですが、ある複数の企業からの提案で“インタネット広告の研究会”の立ち上げに携わったことがあります。次世代テクノロジーワーキンググループに入っていたのですが、そのときユビキタスが課題になりました。責任者になってしまい研究していたのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%93%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%B9%E7%A4%BE%E4%BC%9A

でも、例えば“おさいふケイタイ”で買い物をするとき、すべての個人の購買行動などがわかってしまいます。個人の心理分析まで出来てしまう。それは悪用しなければ個人情報保護法に抵触しませんが、その時、ジョージ・オウエルの「1984年」を思い出したのです。悪用すれば、ビッグブラザー、1984年の世界がありえます。これってやばいよね!ってね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_%28%E5%B0%8F%E8%AA%AC%29

それで、その研究への関心が薄まりました。そのうち、会を引退したのです。

自然派以外の人たちは、テクノロジーが豊かな未来を切り開いていくと信じている人が多く、だから、技術の無限消費はOKなのでしょう。ナノテクノロジーでさまざまな物質を組み合わせ、何でも作ってくれるかもしれないと思っている思想家もいます。もっとも、現在のシステムが柔軟に,すばやく状況に対応して変化していけば、ユビキタス社会は理論上はあり得るはずです。でも、2008年の金融恐慌などを見ると柔軟で、すばやい変化はありえないでしょうね。

人類は猛スピードで走っているのですが、未来は大きな壁なのです。その壁にピンホールが沢山あります。そのピンホールを見つけて、人類はうまくすり抜けなければならないのです。ユビキタス社会は、無限の消費、地球環境がだめになるような消費を前提としているので、ユビキタス社会が実現する前にシステムが崩壊するでしょう。ですから、自然に戻って生きるしか、人類にとって道はないでしょうね。そう信じてここ鴨川に来ているのです。都市のタコツボに入っている人達にも出来れば、こちらにドロップアウトしてほしい(^^)。その受け入れ基盤が出来ればいい。それが僕らのミッションかもしれません。でもこの考えは、自分が田舎に移住した特別の意味をつけたがっているけっかなのかもしれませんね(^^)。
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T-人間の自由とインターネットについてどう考えていますか?

C-昔の農村集落は閉鎖的世界でした。メディアを含めた情報化社会が、Globalizationを通じてパンドラの箱を開けさせ、その閉鎖性を打破したのです。インターネットは人間の思考を1次元アップしています。世界の価値観を変えているのです。資本と労働の関係も変えつつあると思います。インターネット情報によって自分で起業するために有利な条件を得ることが出来ます。ダーウインは世界を旅することによって現実を知りましたが、世界を旅しなくてもインターネットからは智恵と情報を得ることが出来、発想や希望を変えていけます。

8:2法則が正しいとすれば、20%の人の考えが変われば全体が変わらざるを得ません。自分たちがやりたいことをやって世間の目に触れれば、まねをする人達が現れます。そのまねをする人が20%以上になれば社会が変わります。エコ・オルタナティブですね。だから意識をあげようとしている人にだけ、情報提供、アドバイスすればいいことになります。その人達の踏み出せない最後の一歩を手助けすればいいのです。

T-コミュニケーションについて、どんなことを考えますか?

C-あるアマゾン先住民部族社会では、円形の家に住んでいます。

内に壁がありません。文明以前にどのように人間が進化してきたかは、先住民を見ればわかります。家族ではなく、部族が単位なのです。心理的には居心地がいいはずです。なぜなら、そういう風に進化したのだから。そうした環境に生きたほうが精神病が少ないはずです。

現代は「世間」という概念が走りすぎ、行き過ぎておかしくなっています。心を裸にすることが人間の進化に必要なことだと思う。人類は先住民のようなオープンな社会の方向に進んでいくと思います。

でも、“木の花ファミリー”(共同体)で住もうとしたら、僕には厳しいかもしれませんね。

http://www.konohana-family.org/

体験ツアーに参加し、大きいな刺激を受けましたが、モデルとして個々のメンバーの基本的な行動はすべて「みんなのため」という原則があるようで、本格的な共同体です。趣味の多い自分には、一人の時間はちょっと足りないかな、と思いましたが、それが気にならない人にとっては居心地がいいと思います。ですので、未来型の共同体は、緩やかなコミュニティーもあればちょっとストイックな共同体もあるでしょう。人は様々いるので、どちらも必要です。インタネットは全世界と連なっているので、自分の価値観と似た共同体を選んで住めばいいでしょう。未来は、社会の最小単位が核家族 からコミュニティーに移っていきます。価値観の似た人が集まればいい。これが理想です。新しい「世間」が生まれるのでしょう。
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T-日本のかつての村落共同体の多くは、自給自足を基礎とした農村稲作共同体で、そこでは、おおむね共生、平等だったといっていいでしょう。貨幣経済、資本主義経済は都市化を進め、若者たちは都市に流れ、村落共同体を空洞化させました。企業は村落共同体の伝統を組み込みましたが、それは擬似家族・共同体で、実態は資本と労働のシビアな関係では、支配・隷属関係は貫かれてきました。人間は孤立した個人としては耐え難いもので、、孤立し孤独化した個人を追い詰めています。しかし、そのような事態は、他方で、その社会的関係から脱出し、人間の信頼、連帯を、新しいコミュニティー・共同体を求めようとする衝動を人々に生み出すことになります、人は自立を前提として始めて意識的な脱出を始められる。東京から鴨川などに脱出してくる若者がそうです。

T-でも、今、都市の若者たちの特徴は、鴨川に移住してくるような自立した人間の関係ではないらしい。渋谷ギャルの中で起こっている新しい現象は、「新村社会」といわれ、気使い150%のような社会(コミュニティー)、「超調和世界」だそうです。「そうね、そうね」の世界。携帯電話常用世代から「超気使いコミュニケーション」が生まれているらしい。僕は、渋谷ギャルたちは、自分の言いたいことをお互いに一方的にしゃべりまくっていると思っていたので意外でした。

C-ケイタイ世代はポジテイブだ。バブル期に就職した世代がこの「新村社会」的コミュニケーションを作ったと思う。僕はアメリカ型コミュニケーション(自己主張型)から、日本型コミュニケーション(調和型)に切り替えるのに苦労したのです。

T-「新村社会」では、「あいそ笑いを絶やしてはいけない」「弱っている村人を励まさなければいけない」「会話をとぎらせてはいけない」「一体感を演出しなくてはいけない」「共通話題を作らないといけない」「正しいことより「空気」に従わなくてはいけない」「コンプレックスを隠さなくてはいけない」「だよね会話をしなくてはいけない」「自己紹介が長い人はありえない」こうした“厳しい戒律”があるようです。

http://book.asahi.com/business/TKY201002160286.html

こうした“厳しい戒律”があるにも関わらず、“掟破り”がゆるされる、村人がいるというのです。

たとえば「ケイタイを持っていない村人」「キャラ立ち」(ぶりっこキャラを確立してしまえば通ってしまう)「徹底的KYキャラ」(トランプのジョーカーのような存在)。要するに出る杭は打たれるが出すぎた杭は打たれないということらしい。でも、一歩間違えば村10分になってしまうらしい。

C-なぜ村10分(精神的排除)が可能かというと、バーチャルな世界だからです。初期化が出来るから。卒業すれば白紙になる。子供遊びのようなものです。就職すれば白紙になるからです。

T-縦社会は崩壊しつつあります。情報発信力のある人が権力を握る時代です。

C-そうですね。ネット社会では文章力ではなくコミュニケーン力が力なのです。
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T-欧米と日本のコミュニケーションの違いは?

C-若い人達は渋谷ギャルのコミュニケーションの方法が一般的です。日本のコミュニケーションは、常に調和。意見の違い=きげんが悪くなる。だから、意見の違いを避けます。

アメリカのコミュニケーションでも、すでに価値観が似ている人達が集まった時は、調和です。同じ宗教の人達はあまり議論はしません。価値観を共有しているので。

インテリになると、その場面、状態で議論していいかどうかが決まります。礼儀があるので。インテリ間では、意見の違いに関して感情的にはなりません。論理の闘いです。論争が熱すぎると次は招待しません。根本的世界観の対立が出てくると、付き合えなくなることがあります。感情的になるのは家族の間でです。

T-僕が住んでいる部落の会議でも意見の対立はあります。冗談ぽく対立意見を言い合う。ガキのころからの幼馴染なので。意見を遠慮して言わないことはあまりないようです。冗談ぽく、オヤジギャグっぽく、ダジャレっぽく。猛スピードで。移住者の僕はついていけません(^^)。でも、よそ者との関係では慎重です。

C-これから作る共同体では、強い共通理念か非暴力的トレーニングのようなものが必要だと思う。「地域自給組合あわのわ」の中で非暴力的トレーニングのプロジェクトのようなものがあればいいね。知らない人同士がコミュニティーを作ることは大変なので。

T-鴨川移住者も、「渋谷ギャル」ぽいコミュニケーションやってるよ。

でも、相手の意見の内容をを聞く前から「そうね、そうね」会話はしていない。お互いにもたれあっていず、自立しているから。

C-リーダーはいないほうがいい。担当はいるがリーダーはいない。プロジェクトリーダーはいるが全体のリーダーはいない。それがいい感じだ。

T-先日神戸でウージャンシー(有機農業と新しいコミュニティーに向けた運動)の世界大会があった。アメリカでは(地域サポート農業)CSAといい、日本では提携といいます。

会議で、日本人は経験発表の積み上げから論議を発展させようとする傾向が強く。日本人から見れば欧米人のやり方はトップダウンに見えます。だから、日本人からボトムアップでやろうという意見が出ました。

欧米人は理念やプロジェクトをはっきりしていくことからはじめようとします。だから、意見の対立が激しい。社会は意見の対立があったときどういう風に解決しているのだろうか。

http://www.joaa.net/moyoosi/mys-70-1105.html

いくつかの解決方法があると思う。

1つは多数決。多数意見は暫定的真理として、一応多数意見を承認し実践する。これは欧米的方法。民主主義。

先住民社会では、順番に長々と話、最後は長老(経験知)が意見をいいそれを了解する。

日本の村社会では、多くの場合、たたき台をたたきあいながら、お互いにすり合わせを、1周、2周、3周し、最後にとりあえずこうしよう、という方法で合意する。多分これが「渋谷ギャル」的コミュニケーションの基礎になっていると思う。

欧米人では、意見と感情を区別できるらしいですね。なぜなら、理に従うという考えが肉体化していると聞いたことがあります。もともとは超越的神=真理に従うとかんがえが歴史的に長い習慣になっているとのことだが、そうなのでしょうか。

エリー日本人は一人一人が神様だから、神神が喧嘩したら最後よ。欧米社会では絶対的神が上にいて、人間は神の下にいる。神によって作られたもの。だから神=真理は絶対的で、従うべきものという心理が生まれるの。
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C-神だけの話をしていた時代には、意見の違いは殺し合いにまで発展する可能性がある。絶対観念が、脳の中に出来ると結晶化し、これが一個出来るとそこから結晶化しやすくなる。もっとも、科学が入ってくるとちょっとは柔軟になりましたが、西欧文化の根本的なところに脳みその結晶化があります。科学者がインスピレイション(ひらめき)を得るとき、それが自分の過去の蓄積の結果だとは思えない。だからニュートもアインシュタインも神を否定しないのです。

T-いわば1960年代は普遍の真理を求めた時代です。1970年ごろ反体制運動は挫折しました。しかし、ヨーロッパは挫折していない。だから普遍の真理はまだ生きています。1970年代、ポストモダン派の人々は、理念は死んだ、革命というような大きな物語は死んだといい、小さな物語を語った。フェミニズム、エコロジー、身体論・・・スペシャルインタレストグループなど。

1980年代のバブル期、浅田 彰に代表されるように、思想をおもちゃ箱のように楽しみました。マルクスやカントもおもちゃ、楽しい知的ゲーム。

1990年代、バブル崩壊とともに、深刻な危機がおとづれ、人々はリアルな現実に戻っていった。軽いおもちゃ箱は魅力をなくし、泥臭い思想が登場してきました。日本とは?日本人とは?生きるとは?・・・・。それはグローバリゼーションという大海に漂う

不安感を背景にしたナショナリズムの台頭でした。

ゼロ年代を代表する思想家・東 浩紀の言説を見ると、インターネットなどの技術が現実に社会を変えている、理念が社会を変えているのではなく技術が変えているのだといいます。理念自体が否定される。でも、人間は理念なしに生きていけるのでしょうか。例えば

グーグルには明確な理念があります。いくつかの理念に基づいてグローバルな事業を展開するまでになっています。合理性と社会のニーズを伴っているとき、やはり理念は社会を変えているのではないでしょうか。
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C-社会を変えるのは理念でも技術でもなく人間だとおもいます。もっとも、ツールが優れていればいるほど、理念が親しければ親しいほど変化が早くなります。理念はきっかけ、インタネットはツールにすぎません。

規模化が問題なのです。規模が崩れてくると、それに基づいていた理念も崩れます。

コミュニティー単位の倫理、理念に変えていけばいいと思います。現在、大規模な社会が存在するので、このような考えは奇異に見えるかもしれませんが。

T-倫理とは何を指しているのでしょうか?日本人に道徳(モラル)という思考はあるが、倫理という思考はあるのか疑問です。

C-最近まで農村集落が存在していたので、当たり前すぎて倫理とみなされていなかったのでしょう。現在でも倫理が少しは残っています。本来なら先住民が持っている倫理は言葉には出来ません。先住民とともに存在したもので、風土に合っていたのですから。

T--50年前の日本の農村社会に存在したのは、倫理ではなく「世間の道徳(モラル)」だと思います。都市化したら「世間の道徳(モラル)」は崩れていきました。古い共同体を出て裸の個人になった人間が何を精神的規範とするか、それが倫理です。欧米人は超越的神の世界で生きてきたから倫理は理解しやすいのではないでしょうか。

日本人は神がどこにもいると思っているから、超越的神倫理は理解しにくいのです。現在とは「世間の道徳(モラル)」が崩れ、倫理が確立していない狭間にある時代だと思います。

http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20060530/p1

エリー日本人の倫理はそのつど形成されるものよ。すべての原型は母との関係の中で形成される。そこが日本人の面白いところなの。

T-それは面白い。次回のインタビューはエリちゃんだ(^^)。

※転載元は<こちら

安房ルネッサンス・今西さん訪問記

安房ルネッサンス・今西さん訪問記


今西さん宅は嶺岡山系南斜面の古民家。夫婦とお子さんの3人暮らしをしておられる。
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T-今はどんな生活ですか?

I-2009年12月までは酪農ヘルパーの仕事をしていたのですが、正月からは新しい生活に入っています。

T-自給しておられるものは?

I-米は100%、200坪の田んぼで約4俵(240kg)。野菜も100%、150坪の畑で。

卵は300%(^^)、12羽が1日約10個生むので、多少現金収入になっていますが。

えさは、くず米、ひじきくず、鰹節くず、煮干くず、貝殻、砂、野菜くず、蛎殻などを与えています。味噌は100%自家製。醤油は友人たちで製造・自給しています。それと塩作りもしています。ざっと、食物の自給率は50%くらいかな~。

T-最近、「地域自給組合あわのわ」を提案されたんですよね?何を自給するんですか?

I-まず食べ物から。米、小麦、塩、雑穀。1人で自給するより仲間で自給するほうが楽しいし。出来れば衣食住の自給、100%でなくても、出来る範囲でね。

現代人は、労働を金に買えて物を買う、この関係を変えたいのです。助け合いの仕組みです。セキュリティーにもなるしね。

現在、塩プロジェクト、小麦プロジェクト、雑穀プロジェクト、森林プロジェクトが立ち上がっています。

塩作りや小麦の種まきをやりました。何か自給したい人がプロジェクトを自由に立ち上げていけばいいと思っています。
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I-「自給組合宣言」を書いてみたんです。これを見てもらうと考え方をざっと理解してもらえるかな。

「地域自給組合 あわのわ」―地域自給宣言―三つの輪(わ)

・「地域自給の輪」

「同じ地域に住む組合の賛同者が、ゆるやかに共同体として結ばれ、既存社会のように生産物や労働をいったん貨幣に換えてから自分に必要な送品を購入するという仕組みから少しでも離れ、お互いの顔の見えるところで生産もするし消費もする、課の中桐お金やモノの移動を少なくすることによって、われわれが労働から得たものが地域の外へ流出することを食い止め、それぞれの生活が豊かに幸せになることを目指します。

・「多様性の輪」

組合員の生産したいもの、労働したいことを他の組合員に呼びかけ、参加希望者を集め、プロジェクトチームを作り、その中で生産方法、販売方法(円、アワマネー、物々交換などの選択)、生産にかかる経費の調達、労働の方法などを、各プロジェクトごとに運営し、よりよい方法を組合全体に還元していきます。各自、各チームがひとつの輪(生命)として存在し、そして他の輪とつながり、組合全体の輪を形成し、中央集権的なトップダウンではなく、ボトムアップの組織を目指します。

・「持続可能な輪」

食品・農産物においては出来るだけ無農薬、無化学肥料、無添加をめざし楽しく働く場を作ることによって、資源を浪費したり、自分たちの心身を過剰に疲労させることのない人と人、人と自然の連なりを基礎とした持続可能な生活、社会を目指します。
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T-「地域自給組合あわのわ」を提案された動機は?

I-もともとは、里山・里海研究会の意見交換の中で出てきた話なのです。酪農ヘルパーアルバイトの生活はつまんなかったので、里山や里海を生活の糧に出来ないか、木材の伐採や海草などで収入を得ることは出来ないか、そんな話をしていたとき地域自給のアイディアが沸いてきたのです。

T-里山・里海研究会でやろうとしていることは?

I-里山生活お助け隊という組織を立ち上げています。福祉と環境をうたい文句にした便利屋みたいなもんかな。具体的には、休耕地、放棄地を再生し、作物を栽培したり、雑草を刈って堆肥にし、地域自給組合の畑にいれるとか。ユズや柑橘類を加工できるところまでもっていければいいね。地域の高齢者の家での草刈や生活上の手助けなども出来るんじゃないかな。人とものが循環できるシステムができるといいね。

若い移住者が勤めに行かなくても生活できる受け皿が出来ればね。僕も里山・里海研究会や地域自給組合の中での仕事で生活費を稼ぎたいし。みんながみんな東京を向いていたらしょうがないからね。

地方がいつも東京のほうへ向いているという関係を止めたいんです。
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T-鴨川に移住されたのはいつごろですか?動機は?

I-20年ほど前、26歳のときです。学生時代、クラシック系のミュジッシャンになりたかったんです。でも生まれ育ったものと西洋の伝統的音楽との間の違和感が膨らんできたんですね。田舎で畑を耕したかった。自然回帰ですね。友人の宮下君が鴨川に空家があるというので、彼らと一緒に引っ越してきたんです。
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T-鴨川9条の会設立を呼びかけていますね?

I-自分の子供とかが将来戦争に行って殺したり、殺されたりしないように。徴兵制にならなくても、戦争に向かっていきそうなので。防衛大臣が武器輸出してもいいとか言っていますよね。日本人はわ~と行っちゃうからね。バブルのときもわ~と行っちゃった。危険な習性だね。大きな流れに流されてしまう。経済が好くなることを重視する流れを止められないように。ちゃんと自分の考えを話す訓練を受けていないからね。

若い人たちは、論理的・分析的に考えることで正解が生まれるとは思っていないようだ。感情的で、痛みから逃げてしまうところがある。現代人の特長かな。

もっとも、私としては論理も感情もどちらも正解とは思いませんけどね

現在は敵・味方が混沌としていて、分けられない。そういう状況に無感覚になり、鈍感になってしまっている。もっと摩擦を感じて生きていいと思う。自分でものごとを考え、考えたことを、学校や家庭や社会でしゃべっていく世の中になっていかにゃね。

学校や家庭で、自分で考えるということをさせないでいるということが問題だと思います。

T-特に影響を受けた人は?

I-自然農法の福岡正信さんが一番。「わら一本の革命」とか。田んぼや畑の基本です。

でも、福岡さんが特別大きな一人ではありません。ほんとの師匠だと思える人が自分にはいません。それってとてもよくないことですよね!

それと野口整体。今、月に1度不定期ですが、鴨川で「活元会」をやっています。

月2回東京の道場へ通っています。野口整体の目指すものは「全生」。自分の生を全うすることなのです。健康こそ自給しなくては!

T-ありがとうございました。

新春メッセージ・世代間コミュニケーションを考える

新春メッセージ・世代間コミュニケーションを考える
田中正治
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千葉の鴨川に移住して11年になる。鴨川といえば「鴨川シーワールド」を思い浮かべる人が多いでしょうが、僕たちの住んでいるところはここが鴨川なの?といわれるような山間部。

ここ7-8年、鴨川から南房総にかけて、30才代の子持ち若夫婦の移住が目立つ。ほとんどが半農半X系。自分のやりたい仕事をやりながら田んぼや畑を耕すライフスタイルだ。

草木染、整体、陶芸、マクロビオティック料理、オーガニックカフェ、ジャーナリスト、鍼灸、有機専業農業、絵画、建築、菓子作り、パン作り・・・などを仕事にしている。

南房総では、若者たちが立ちあげた地域通貨・安房マネーに170家族(350人)くらいが参加している。誰も知人がいず、移住してきても、地域通貨の会員登録すれば、仲間が出来てしまう。

安房マネーの会員は30歳台を中心にユニークで魅力的な人が多い。時々、鴨川と館山でオーガニックマーケットを開催する。自分たちの作品や商品を持ち寄って販売する。
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移住してくる若者たちは、都市文明にどこか決別している部分があって、(といってもパソコンや携帯電話や自動車は使っている)エコロジー、ネットワーク、自律・自立、いのちなどどこか共通する価値観をもっているようだ。

最近、ある人が「地域自給組合」をつくろうかと言い出して、スタートした。塩は普通、だれも買っていると思うが海が近くにあるんだから、塩をつくちゃえとプロジェクトが始まった。20人くらい集まって、酒を飲みながら1日かけて塩を造ってしまった。

麦プロジェクトも始まった。パンを自分で焼いている人はけっこういるが、麦を植えて小麦粉を作りパンを作っている人はさすがに少ない。だったら、自分たちで麦を撒いてパンを自給しようというわけだ。

そんな「地域自給組合」の会議に出てみると、ソフトで柔軟で他人の発言を尊重したコミュニケーションが行われる。”俺が、俺が”的発想はない。個人の発案は尊重されながら、お互いのアイディアや意見の共通項を広げていこうとする。

では、相違点や対立点はどうするのか?ストレートに相違点を批判することはない。”ちょっと違う感じかな?”といった表現で、やんわりと批判したりする。何よりも共通項を広げて、方向性と行動計画をきめ、実行していくことによって、相違点を狭めていこうとする用に見える。

1960年代世代が、他者との意見の相違点を明確にしながら、他者を自分の意見で説得しようと、論戦を挑んだのとは対照的な感じがする。

鴨川にも60年代世代(全共闘世代)が、1980年前後に10数人移住してきたといわれている。移住した当初、当時の若者たちは、昼間は一緒に田植えなど協力しながらやりながら、夜になると、酒を飲みながらガンガン論争したという。そして、結果は、お互いの意見の相違点を拡大した成果、結局個人に分散してしてしまい、現在は相互のネットワークもないようだ。

自己のアイディアや考えを明確にして、他者を批判・説得して多数派になることによって、次の行動の方針を決めていくというコミュニケーションの方法は、お互いにさわやかな関係を維持していける方法を編み出せば最高だと思う。でもなぜか、さわやかに終わることはまずない。何故だろうか?

以前、といっても10数年前、アメリカ人とイギリス人と一緒に日本的コミュニケーションについて話す機会があった。彼ら欧米人は「はっきりとした自己主張をするのが当たり前」の感覚。

対立してもそれは、何が真理であるかをめぐる論争であって、個人の属性とは明確に区別されるらしい。真理とは何か?真理に従うという思考の構造が歴史的に形成されているのだという。

従って、意見の相違は、真理をめぐる相違であって、真理は個人の人格とは独立している。いわば、超越的な神が真理を体現し、神に従って来た長い歴史が彼ら欧米人の思考構造を形成してしまっているというわけだ。

ところで日本人にとって神は、森にも山にもかまどにも、石にも大木にも草にも、さらに、人々に尊敬された人が死ねば神になってしまう、神は超越的でなく、森羅万象の中に存在する、そんな自然崇拝の空気の中で日本人は育ってきたのだ。

従って真理を人格と区別することは頭の中で理解したとしても、実際には感情がついていけないのである。”あの人が言うならいいだろう。あいつが言っているなら信用できない”といった具合である。真理は人格にくっついて認識されてしまう部分が大きいように思われる。

そういう思考構造をもっている日本人間で、他者を批判し説得しようとすると、他者は自分の人格があたかも批判されたかのような感情を持ってしまう。従ってこれが正しい、これが真理だということを他者が受け入れるには、それ相応のキャラクターや場の雰囲気、表現法の工夫が求められる。

ところで、鴨川の山間部の農山村(棚田での稲作地帯)に住んで、部落の寄り合いに出席すると、そこには実に巧みなコミュニケーションが行われていることに気づかされる。

ほとんどの出席者は幼馴染だからか、意見の対立があった場合も、実に率直に言い合う。ただその場合、意見の相違は笑いながら、冗談ポク、まあ掛け合い漫才のようなノリとスピードでやりあうのだ。そこのは後味の悪さは残らないように感じる。

僕は移住者なので、そのスピードとノリには全くついていけない。相手とみんなの反応を瞬時に計算しながら着地点を見出すテクニックに驚かされる。

ほとんどの人が幼馴染の閉鎖的な生活共同体(相当空洞化しているが)村社会の中では、日本人は掛け合い漫才、冗談や駄洒落やユーモアは結構得意と考えていいように思う。

相互の反応を俊敏に予想しながら発言するという思考は、現在の若者たちにも引き継がれている。ただ、意見の相違を掛け合い漫才、冗談や駄洒落やユーモアのノリで乗り切ってしまうという伝統はあまり引き継がれていないようだ。吉本的ボケとツッコミ的コミュニケーションを得意とする大阪人を別とすれば。

相手の意見に対して言葉を咀嚼する前に、”ウンウンそうねそうね”と同調してしまうように見える。周りの雰囲気を壊さないように、他人を傷つけないように(自分を傷つけられたくないから)注意深く、すばやい会話をしているのではないだろうか。

作家の藤原新也氏は、それを「いい子キャラへの過剰適応」という。「いい子キャラ」を演じることが身についてしまっているという。その大きな原因は、ネット社会による監視機構ではないかという。ネットによる相互監視社会が登場し、それからはみ出してしまうことの恐怖、「学校裏サイト」の生み出す恐怖のようなものだろうか。

鴨川や南房総に移住してくる若者たちには、こうした相互監視社会からの脱出も移住の動機のひとつかもしれない。こうした若者たちは確かに、批判を会話の軸にすることはない。共通項を探し、その共通項を拡大知ることを会話の中心軸におく。他者の意見に対して「間」をおかず、咀嚼せず「ウンウン、そうねそうね」と言っているようには見えない。

コミュニケーションは相違点も共通点も明確にしながら、相互に理解度を高め、行動をともに出来れば最高だと思う。その場合、他者との相違点、対立点を批判し、自分の考えを納得感を持って相手に伝えるための方法のレベルアップが必要ではないだろうか。

欧米社会では、「批判精神と自立した個人」の育成は長い伝統と生活・教育の中で育まれているようだ。日本人はそうした伝統を持たない。従って、前提的に「批判精神と自立した個人」を想定するとたいてい空振りになってしまう。

むしろ「個の力」を組み合わせてよりよい仕事や行動をする「チームの時代」へと移りつつあると考えたほうがよさそうだ。カリスマの時代からチームへの時代への移行か。

「個の力」「自由な発想」を伸ばしつつ、孤高の存在になるのではなく、チームの中で力を発揮し、自立・自律していく、その過程でのポイントは、日本的コミュニケーションの伝統を「あいまいさ大好きコミュニケーション」ととらえるのではなく、共通項を広げながら、相違点は自由闊達で掛け合い漫才的、冗談、駄洒落、ユーモアの伝統を引き継いですっきりさせていく、そんなことが出来ればいいのにね、と夢想したりしている。

●安房ルネッサンス Kittaさん訪問記

Kittaさん訪問記

澤野さんとKittaさんご夫婦は、可愛い娘さん2人と暮らしていて、草木染の仕事をして おられる。拙宅から車で3分くらいのごくごくご近所なのだ。
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http://www.kitta-sawa.com/
(Kitta虹色草木染)

T-いつ鴨川に来られたんでしたっけ?

K-2006年3月、兵庫県の明石から。実家がつぶれそうな旅館(^^)で、その屋上で玄米菜食のcafeをやってたりしていました。

友人の一人から地域通貨・レインボーリングの安部さんのことを聞いたり、「エンデの遺言」のDVDを見たり、「満月の集い」というイベントをやったり・・・・して。

明石の前には東京の青梅に住んでいて、いろんなネットワーキングをしていたんです。脱都会志向はその頃からあったんですね。

子供が出来て明石に帰ったんです。子育ての過程でシュタイナー教育に出会い、子育てのために、田舎に住みたいなと思って鴨川に来ました。
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Tどうして脱都会?

K-話せば長いんですけど・・・・(^^)。13歳(中学1年・1987年)から高校中退する頃まで、パンクから入ってスカやレゲエ、ソウルなんかの黒人音楽やオタナティブな音楽、ファッション、アートなどのカルチャーに出会って神戸や大阪のライブハウスにやクラブ、ギャラリーなんかに入り浸っていました。

バブル期、何でも買ってもらえたが、何かに餓えている世代、その何かが解らなかった。それがパンクに引かれた原因かな。パンクのスピリッツは自分にとって”王様は裸だ”といえる自分の感性を大切にするということ。型にはめられたくないということ。
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T-ほー!おじさんにロックの流れを教えてくれます?(^^;)

K-1950年代は、ビートニクスの時代で、文学と音楽。jazzやbluesからロックの前駆流。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF_(%E9%9F%B3%E6%A5%BD)

60年代はに、ヒッピームーブメントが起こり、サイケデリックロックがうまれたのね。Summer of Love。

70年代後半から80年代前半に、イギリス労働者階級の反体制的パンクが登場。

80年代頭頃は、機械的リズム、キーボードの打ち込みのテクノ的なニューウエーブ。

80年代後半second summer of loveと呼ばれるテクノ、レイブmovementが起こり始める。この頃わたしは中学生、インディーズのバンドの夢中の子供でしたが。

90年前半は日本でもレイブカルチャーが盛り上がり、ヒッピームーブメントの再来といわれる second summer of love。

わたしもライブハウスからクラブへ移行。ダンスミュージックにはまっていました。

NYやLONDON、インドに旅して踊りまくる(笑)。

もちろん音楽とともに異文化、アート、食べ物からオーガニックやベジタリアンの思想にであったのもこの頃で、海外での出会いと日本では91年の「いのちのまつり」に参加して、その頃17才。カルチャーショックを受けました。

こんな生き方をしている人たちが、こんなにいるんだ。しかも日本に!という衝撃で目からうろこが。

音楽とファッションをきっかけにオルタナティブな生き方に出会ったという感じです。

90年代中頃(20才頃)、70年台終わりにうまれたambient musicに出会い、音楽への意識が変化しました。

その頃から自然や環境に対する自分の姿勢が明確になってきた。

日本の旅人ミュージシャン達との出会いもあって、より 自然界と呼吸のあう、アコースティックなサウンドに惹かれるようになりました。
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そのフィーリングと菜食(今はそんなにがちがちじゃないけど)への移行、すべてがつながり、生かし合うような生き方への憧れはシンクロしていると思います。

そのころから自分の手作りした洋服を人に声をかけてもらって販売するようになっていました。

最初は既成の布を用いて、その後化学染料で染め始めて、90年台の終わりごろ草木染を始めました。

マンション住まいで化学染料の染めをやっていたんだけど、やっぱり自分の出している排水の行き先が気になって・・・・・。

やっと森や川、海や空がつながっているという当たり前のことのなかに奇跡を感じ始めた自分だったのでいろんな葛藤がありました。

ある野外音楽イベントで夜通し踊って夜が明けていく自然の美しさに感動していた時、はっと気付かされたのが人間の身につけている服の色の不自然さでした。

素材も含め、なんとも浮き上がったように見えました。

こんなにも美しい山や、空、水や土の色たち。

自分達人間がなんともみじめに感じられました。

中学生のころから「なぜ人間はこの空や海のようにうつくしくないのだろう」と感じてきたことが ここに来て、「そういうものがつくれたら」という希望に変わりました。そして草木から色を頂くという「草木染」をはじめ、すこしづつ自分も癒されていったように思います。
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T-好きなロックグループは?

K-中学時代はcrashやramones,日本ではblue heartsが好きでした

http://music.yahoo.co.jp/shop/p/12/61416 (crash)

http://www.wmg.jp/artist/bluehearts/ (blue heats)

T-レゲエは?

K-好きですよ。ボブ・マーレーにはかなり影響を受けたし、ナイヤビンギと呼ばれるラスタたちの祈りの音楽が特に好きです。

ロックステディやカリプソ、メントみたいな音も好き。

http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/bob-marley.htm 

2000年代は、多様性の時代かな?主流がなくなってしまうのね。

今は日本では衣装も作らせてもらっているのだけどサヨコオトナラ、素晴らしいですよ。現代の神話を作っているバンドだと思う。

http://www.alte.com/sayoko/news.html 

あとは友人たちの歌う歌や音楽をよく聞いています。夫も染め物と音楽をやるのだけど、くらしの中に音楽があるのが自分にとって最高です。

お風呂に入っていると夫がと也の部屋でギターを弾いている。

隣の田んぼの蛙の声と重なって、「いまここ」でしかありえない音楽が奏でられる。

子供が夫の作ったうたや私のつくったうたを口ずさんだり、自分で即興でうたをつくって歌ってる。そんなのが自分にとって最高に自然であたたかい音楽のありかたです。夫はCDも自主制作していてkittaのHPで聞けるので是非聞いてみて下さい。

虹色草木染kitta http://www.kitta-sawa.com/
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T-フェミニズムについては?

K-人間の中には女性性と男性性双方があると思うんですね。男にあっても、女性性も男性性も否定せず、両方を解放する。本当の女性性ーいのちを育む、いのちがこの地球上でつながっていることをわかった男性こそが男の中の男では。

T-子育てのためのシュタイナー学校はどうでした?

http://steiner.blume4.net/steiner.html

K-やっぱり公立の小学校に通わせながらのシュタイナー教育は難しいですね。2つの価値観に迷ってしまいます。大人も子供も。ギャップが大きいんですね。公立学校で学んだ内容を、親がシュタイナー的価値観で批判すると、子供は迷ってしまいますから 否定することは出来ない。

でも、出会った時、シュタイナー教育はなんて美しいんだろう、と衝撃でした。例えば数学にしても全ての教科、が連動しているし それは世界がすべてつながっているということでもあります。数学は美しいもの、ひいては世界はうつくしい、そのことを体験を通じて感じさせるんです。

あとはサティシュクマールのシンプルで、人間的で、東洋的な思想にも共感しています。
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T-地域通貨・安房マネーは、活躍していますか?

http://www.awa.or.jp/home/awamoney/

K-鴨川に移住した当時、本当にお金がなかったんですね。その時、お金って必要だ!と思い、必死で仕事(ものづくり)をしました。お金がないと生きていけない!

その時、地域通貨でお米が買えました。希望でした。サバイバルツールになっていたの。

T-安房マネーを何に使っていますか?

K-先日、笹谷窯(陶芸)での雑穀料理で、米山さんが100%アワマネーで料理を提供していました。ガーン!それで、草木染の服2万円のうち、1万 円を安房マネーで提供したことがあります。その時時のわが家の経済状況に応じてですが。

でも、最近は友人との物々交換が多くなっていますね。お金をやり取りしない方が、気持ちがいい場合がありますよね。

T-僕たちの世代(団塊世代以上の)には、根底に、お金は不浄なもの、汚いものという感覚があるようにおもいます。

K-お金で何でも解決してしまうことに嫌悪感があったのです。だから、中高生の頃、親に”お金なんかいらない!”と言い続けました。言ってる割に世話になってばかりでしたが。でも、お金も良く使えば社会をよくできるツールです。そのためには、知識、情報、直観力(アイデア)が必要ですね。

買うんだったら、本当にいいものを買う。本当にいいものって何か、考えながら買っています。もちろん自分のつくるものについても いつも考えています。

遊びもありながら、いいものを作りたいのです。元々、一番の遊びだったもの(ものづくり・草木染)が仕事になったな~という感じなので・・・。
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T-Kittaさんが目指している方向は?

K-例えば、昔の人や今でもアイヌやネイティブの人がまとっているものは単に服ではないと思うの。「いのり」のあるものだと思うのです。

お母さんが家族のために幸せを願ってつくるもの。身にまとうお守りのような。

そこにはものを越えた思いと感謝があふれてる。

そういうものを自然(素材の自給)と自分の知恵と技術だけで産み出せるようになる。

それが最終目標です。まだまだ・・・・。一歩一歩と歩み出したところですが。

あとは、みんなが自分のものを「買う」から「つくる」にシフトしていけるようにワーク

ショップをひらいたり、一緒に作業したりしてつたえていけるといいなあ。

T-どういうコミュニティーを夢に描いています?

K-明石にいた時、財布1つのコミューン的くらしをしていました。でも、それは何か窮屈でした。

それぞれの人が自立していて、いい距離感を保ったようなコミュニティーがいいですね。コミュニティーの中で係われるフィールドを決める。まずは、自分たちのくらしを大切にしたいです。

これからはカリスマの時代ではなく、多様性の時代。みんなが主役になる、そんなコミュニティーです。
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T-すきな言葉は?

K-「いのち」。

T-今関心のあるテーマは?

Kー「お金と暦と性」。鴨川に来て、今まで植えつけられていたこの3つの固定観念をはずしてきたように思います。

”お金がないと・・・・・・”という固定観念は、地域通貨ではずしてきました。

従来の直線的な時間の観念。それは西洋の暦によっているのですが、最近であった地球暦は時間は直線でなく、円を描いて進むことを前提としたカレンダー。

あとは性に関する植えつけられた価値観。ジェンダー。性は聖なるものなのに、商業的におとしめられたものにされているのです。

自分の役割ってなんだろう?とず~っと考えてきて  子供を生み、育てること、命をつなげること・・・・・・が自分の役割かなと。後は、楽しむこと!

Tーありがとうございました。

安房ルネッサンス・宮下昌也さん訪問記

安房ルネッサンス・宮下昌也さん訪問記
田中正治

長狭街道と県道88号線が交差するところから、クネクネとまがる山道を約1km登って行くと、人里はなれた、うっそうとした山奥に入ってきた感じ。そこに子供たち3人と宮下さんご夫婦が居を構えておられた。

今日は、住居近くの「アートガーデン・コヅカ/森の家」で行われている本多先生(写真)指導の「錬功18法」という気功体操教室に参加しておられるというので、早速私も参加させていただき、その後お話を伺った。
(◆写真・本多先生)


T-鴨川に移住されたのはいつ頃です?

M-1990年、東京からです。かみさんが鴨川の隣の天津出身で、結婚したころ成り行きで・・・・(笑)。はじめは鴨川・曾呂地区の畑つき古民家に移り、友人の今西さん達と4人で共同生活していたのです。今西さんたちとは東京・西国分寺で、共同生活の経験がありましたのでね。
(◆写真・空と大地の対話)

T-どのように生計をたてられたのです?

M-ライフスタイルの選択として移住をしましたので、とにかく食わねばならない、そのためには描くことで仕事を作っていかねばならない、サバイバルですね。
元々、大学ではデザイン科でしたのでね、描くことでいろんな表現をしていこうと・・・・。

鴨川に来てからも35歳までは、映画などの背景画の職人をしたり、雑誌のイラストを描いたりしながら作品発表をしていたので、東京と行ったり来たり。
今は絵画、Tシャツのデザイン、壁画、CDジャケット、絵本、商品のラベル、ワークショップのアート教室、ミュージッシャンとのライブペインティングパフォーマンスなど、いろんな仕事を、自分で作っています。
(◆写真・生態系の環)

T-今西さん達と共同生活するという発想は、どこからきたのでしょう?

M-共同生活自体は偶然が重なって始まったんですけど、高校生の頃東京・吉祥寺に通学していて、結構ヒッピーにあこがれたりしていたんです。芸大2年生の頃、会社にデザイナーとして就職し、会社の歯車のようになって行くことに疑問がわきあがって来たのです。人生が見えちゃったというか・・・。それで、休学してインドに行ったのです。

強烈でした。インド人の生活を見て、”これでも人は生きていけるのか!寝るところとメシがあれば生きていけるのだ!それに、実はこちらのほうがショックでしたが、安宿で出会う世界中からの若いバックパッカーたちの生き方をみて、人生の選択肢は1つじゃない、いっぱいあると思わされたのです。そうしたことが背景にあったのかな。
(◆写真)

T-宮下さんが鴨川にこられた頃、どんな人が既に移住していましたか?

M-鴨川自然王国の藤本さん、和綿の田畑さん、木版画の今井さん、尺八奏者のネプチューンさん、ハーモニクス・ライフの森田玄さん、有機農業の星野さん、エッセイストの鶴田静さん写真家レビンソンさんご夫妻、木工家の山本さん、スペイン料理の岡部さん、曾呂の稲垣さんや中橋さんたちですね。1980年代に移住した第一期移住組みといっていいのかな・・・・・・・。
学生運動系が多そうですね。
(◆写真)

Tー宮下さんは以前、「地域通貨」を構想しておられたという、うわさを聞いたのですが・・・・。

M-実は、「安房マネー(地域通貨)」の立ち上げ会にも出席したんですよ。そのとき僕は、地元のスーパー「オドヤ」や「シーワールド」でも使えるような地域通貨を考えていたんです。地方の経済人にアクセスするのは困難じゃないはず、と思い込んでいました。
「安房マネー」が友達間のネットワークとして考えられていたので、僕には肩透かしに感じられたのです。
鴨川では未だ、物々交換的発想が生きているんですね。これのほうが実際的かな?
僕は運動家ではないので運動をつくろうとは思っていないんです。
(◆写真・夜が来る)

米、野菜、加工品、衣服などできるだけ知人・友人から買うようにしています。家族の中でお金を回す、円で出来る実験もやっています。例えば友人にお土産としてパンを持って行く場合には、かみさんが作っているパンを買い友人にプレゼントします。息子たちが家庭内で働いてくれたらバイト代を払います。長男は、もらったバイト代で毎月のケイタイ代を親に支払っています。結局親が払うので同じじゃないかと思うかもしれませんが、そうすると自覚的になってきます。

お金はコミュニケーションのツールなんですね。お金を稼ぐことによって、緊張感を持って社会にかかわれます。だから夫婦別会計でやっています。



(◆写真・酔っ払い)

Tー最近、「アートガーデン・コヅカ」を立ち上げられたと聞きましたが・・・・。

M-僕の家は借家で、家主さんは東京の人だったんです。その人が周囲に7000坪の山林を持っていて、2年ほど前なのですが、家も含めて買ってほしいといわれたんです。

拒否したら、家を出て行かなければならないかもしれない。悩みました。長く生活している間に、自分達が山の生態系の一部になってしまっている、安堵感がある、そんな自覚があって、人間対自然という感覚でなく、自然の中の人間、そんな感覚を失いたくなかったのですね。それでお金をかき集めたんですが足りなくて、いろいろな人にこの山の魅力を伝えて、共同出資者を探したんです。
(◆写真・古老の会話)

「アートガーデン・コヅカ」のキャッチコピーは“人と自然をアートでつなぐ”です。これは“生態系の一部である人間”という、僕の山で得た生活感に連なっている構想です。杉や竹でうす暗くなった山を50年前の明るい山に戻していく、アートを介在させて、遊び感覚で山を切り開いていきたいのです。月一回くらいの里山整備作業と「デザイン
ショップまちや」が所有している「森の家」でのイベントを組み合わせながら・・・・。
(◆写真・絵葉書)

T-アートに関する宮下さんの考えを聞かせてください。

M-1990年代後半を境にしてアートに対する評価は、変わってきたように思います。
1980年代までの現代アートは、インテリや専門家対象で、哲学的で難解。それがかっこいいと思われていたのです。ヨーゼフ・ボイスのように無形のパフォーマンスにまでいきついたんですね。
(◆写真・森の家)

でも、1990年代になると、”わかんないのはつまんない”と変化してきました。
1999年東京・代々木公園での”レインボーパレード”は環境イベントだったのですが、アーティストがどっと参加して、楽しく、わかりやすいパフォーマンスをやったのが印象的でした。
(◆写真・宮下夫妻)

20世紀アートは個人のアートで、内面性に価値をおいてきたのですが、これからはアートが本来持っている社会性を取り戻す時期だと思います。様々なジャンルのアーティストのコラボレーションによって作品や空間が作られ、価値が生み出されていくのではないでしょうか。
個人の独創だけでなく、歴史の積み重ね、過去のアーティストが生み出してきたものの蓄積の上に、共同で独創性を生み出して行くことが大切と感じますね。
(◆写真・パンとチャイ)

T-ありがとうございました。

http://hoshimitei.blogspot.com/(宮下昌也のWebギャラリー)
http://www.hoshimitei.com/(宮下昌也の星見亭へようこそ)
http://pub.ne.jp/hoshimitei/(宮下昌也の近況報告)
http://www.ag-kozuka.net/(アートガーデンーコヅカ)

安房ルネッサンス 佐藤竹栄(竹栄接骨院)REPORT

竹栄さんと初めてあったのは、1992年藤本敏夫氏が

参議院選挙に出馬した時だった。

若くして藤本の”秘書”をしている有能な人という印象だった。

彼は鴨川に15年居を構え、現在、柔道整復師として信頼を得ている。

安房マネー会員でもある。僕も2008年末に”ギックリ腰”をやったとき

治療をしてもらい、1回で快方した。

数年前には「未来たち学校」のコーディネイターとして活躍した。
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田ー藤本選挙には、どうして係わったのですか?

竹ー1991年頃、東京で藤本氏と一緒に、東洋医学を取り入れた

”BODY トリートメント”の事業を立ち上げようという話があったのです。

でも、バブル崩壊で資金が集まらず、取りやめになった後、

藤本氏は”参議院選挙に出馬するぞ”と宣言したのです。

行きがかり上、秘書をやってしまったのですよ。
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田ー藤本氏と出会ったきっかけは?

竹ー1985年(20歳の頃)、仙台に藤本氏をよび講演を依頼したのです。

講演の夜、川原での打ち上げの時、藤本氏の隣に座ってしまったのです。

それが”運のつき”でした(笑)。彼は熱つぽく里山の多目的利用空間の話をし、

その中での医療の役割をいいました。

”医療者は農村で生活しなければならない”と。

僕は、里山の多目的利用空間での医療の話に興味を持ったのです。

当時既に「柔道整復師」の資格をお持っていましたので。

そこで1986年の1年間、鴨川で暮らしてみることにしました。

実験的に。おもしろかった。

じいちゃん達に竹細工やきのこ狩りを教えてもらったりして。

その体験がその後の出発点になったようです。
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田ーその後、どうされたのですか?

竹ー1987年から4年間、仙台で超ハードな「柔道整復師」の

インターンの修行したのですが、1992年、藤本氏に呼ばれて参議院選挙を

手伝うことになったのです。
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田ー藤本選挙は、15万票で当選圏には全く届かなかったですよね。

僕は、選挙を戦った仲間と一緒に「オゾン層保護プロジェクト」という

環境団体を立ち上げ、けっこうユニークな活動をして楽しんだのですが、

竹栄さんは、どうされたのですか?

竹ー仙台へ帰り、その後1年間、アジアへ旅に出ました。

ベトナム、タイ、パキスタン、インドネシア、ネパールと。

そのご、再び鴨川へ行き、1994年、「柔道整復師」として「竹栄接骨院」を開設したのです。
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田ー実際の治療方法は”操体法”ですよね。どうして”操体法”なんです?

竹ー仙台に”操体法”の治療院「温古堂」があり、橋本敬三先生(創始者)がご健在な頃、

学生時代なのですが、フリーの見学や研修に行っていたのです。橋本敬三先生は

とてもオープンな方で、そこで学んで自由に”操体法”を広げていったらいいよ、

というスタンスだったんです。

柔道整復師のインターン時代は、50~60人の治療をしていて、

量をこなすことが求められていたので、その反動として質を求めて”操体法”に転換したのです。

”操体法”をメインにした理由は、患者さんのリスクが少ないことです。

痛くない方に動かす、気持ちの良い方に動かすですからね。

また、部分でなく全体的治療ですから、直りが早い。

さらに内科的疾患かどうか見分けやすいのです。
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田ー患者さんは毎日何人くらいみているのですか?安房マネーも使えるんですよね?

竹ー開設した当初は1日、1~2人でしたが、現在は毎日10人くらいですね。

力が要らないので、あまりつかれませんが。

安房マネーは治療費の30%受け入れています。

毎月1~2人の安房マネー会員が治療にみえていますね。




田ーどういった患者さんが多いですか?

竹ー捻挫、首、肩、ひざの痛みで、看護系、福祉系、農業系が多いようです。




田―「未来たち学校」のコーディネイターとして活躍されましたが、

今どういう印象を持っていますか?

竹―水、海、化学物質、廃棄物、森林などをテーマにしてやったのですが、

自分たちの勉強としてはとてもよかった。地域の人もたくさん来、

環境に興味を持ってくれたのですが、何かをやろうということにはならなかったですね。



田―もう一度「未来たち学校」をやろうとおもいます?

竹―再度やるとしたら、主旨を変え、具体的な計画を実施するための

環境学習なら良いかもしれないですね。



田―2004年に「竹栄の鴨川エコシティー構想」を発表しましたよね。そのポイントは?

http://www.k-sizenohkoku.com/tt/tt_anguro/tt_anguro_kamogawa.htm

竹―鴨川にとって環境が、観光の問題であり、産業ブランド育成につらなるということです。

リンクしています。鴨川の海がきれいということが、

鴨川の野菜がうまいということとつながっていなくてはいけないのです。




田―現在、鴨川の最重要な問題は何でしょうか?

竹―資本主義は崩壊しはじめています。次の質を求めているのです。

物と投資が分離しパンク状態にあります。新しい質とは物と金がくっついていることです。

例えばフェアトレードやNPO や中小企業製造業のように。

具体的には、エネルギーの形を変えることです。石油エネルギー型ではなく、

どこでもエネルギーを作れるようにする。太陽光発電、小型水力発電、

バイオマスエネルギー、海水温度差発電、風力発電。

大企業がものを作り輸出する形ではなく、中小企業がネットワークでこうしたエネルギー技術を

広げ、大企業並みに機能させ、地域の中で消費して行くのです。

電気自動車も町工場が作り、キャパシタでの蓄電も利用していく。

こうした地域エネルギー自給、中小企業の時代を前提にして、地域を構想していくことです。




田―そこから鴨川を構想すると?

竹―まずエネルギー自給からはじめ、環境にリンクさせ、観光事業にリンクさせ、

産業にリンクさせていくことです。




田―福祉については?

竹―医療施設は亀田病院はじめ充実しているのですが、介護が必要になる前の福祉、

つまり予防福祉が足りないのです。家にこもっている人が自由に外出できるような

システムが必要です。コミュニティーバスではなく、コミュニティータクシーです。

玄関まで来てくれると外出しやすくなるでしょう。

公共施設が住民のいろんなニーズに応えようとしても応えきれないでしょう。

行きたい人が行きたいところへいけるようにすることです。

それにはコミュニティータクシーの仕組みを作りそれに助成し、

安く利用できるようにすることです。

誰もがデイサービスを利用すればデイサービスはパンクします。

所得に対する税負担を30%くらいにして、高福祉・高負担システムが必要です。

医療費、介護費、生活費保証をするのです。その場合ネックは銀行や保険会社です。

生活不安から人々の貯蓄率が非常に高いですよね。このことで銀行や保険会社は

儲かっているのです。生活保障すれば銀行や保険会社に頼らなくなるでしょう。




田―座右の銘はなんですか?

竹―「判断したことに責任がもてますか」。

患者さんのリスクを減らすことがモットーです。

田―ありがとうございました。

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