遊学の森トラスト

遊学の森トラスト in 安房鴨川

2月3日(日)農作業イベントのご案内

2月3日(日)農作業イベントのご案内
田中まさはる

寒い日が続きますが、皆さんお元気ですか。
冬の間の作業として、念願の土手修理作業を行いたいと思います。
毎年水漏れのする土手の修理です。

これをやっておくと、水漏れの可能性がだいぶ減ると思います。
毎年やろうやろうと言っていてやらなかった作業です。

現在、参加者は4人です。出来たらもう少し参加者が増えるとうれしい。
ご連絡ください。よろしく。



●2月3日(土)土手修理作業
1)集合: 2月3日、田中・阿部宅 朝9:30 
電話・FAX:04-7098-0350 
E-mail:masa-fly★sirius.ocn.ne.jp
★→@でお送りください。

2)交通アクセスは<こちら> 
3)土手修理: 10:00-12:00
4)昼食  : 12:30-13:30(¥600)
5)土手修理: 14:00-17:00
スポンサーサイト

2013年新春の初夢

★昨年の総選挙の結果には、エエ?!と思われた方も多いと思います。結構衝撃でしたね。自民党は294議席(前回の09年総選挙よりプラス175)、公明党の31議席(プラス10)と合わせて3分の2を超える320議席を獲得でした。

ところで、この圧勝は、奇妙な勝利です。自民党は、比例区では得票数が前回よりも219万票減らした1662万票(得票率27.6%)、議席も2増(57)にとどまっただけではなく、小選挙区でも得票率こそ43.0%と前回より4.3%増やしましたが、得票数は2564万票と166万票も減らしています。公明党も、比例区では94万票減らしている。両党とも有権者の支持を回復して勝利したとは、とても言えない情況なのですね。

小選挙区制は民意を反映しないことが、またもやはっきりした感じです。でも現実には自民圧勝、民主惨敗、維新躍進というわけです。安倍極右政権誕生です。
安倍首相を筆頭に稲田朋美(行革相)、古屋圭司(国家公安相)、新藤義孝(総務相)、下村博文(文科相)、といった名だたる極右の人間が並んでいます。「危機突破内閣」と意気込んでいますが何を「突破」するのでしょうか。

2013年7月参議院選挙までは極右の顔を隠して、経済中心に人気取りをはかり、参議院選挙で、自民+維新で3分の2を確保すれば、一気に「憲法改定」に向けて「突破」を試みるのではないでしょうか。公然と戦争の出来る体制に「突破」というわけでしょうか。

★ここでちょっと自民党の「憲法改正」案を見ておきましょう。特徴だけ書き出して見ます。
第一条、 天皇・・象徴→元首
第三条、国旗及び国家(新設)・・日の丸→国旗  君が代→国家
第九条、戦争永久放棄、陸海空戦力は保持しない、交戦権は認めない→削除、国防軍(新設)
第十二条、基本的人権・・公共の秩序に反対してはならない→事実上大幅な制限。
第二十五条、在外国民の保護(新設)→これを口実に多くの侵略戦争が行われた。
第九十六条、憲法改正・・両院の三分の二以上の賛成で国民投票→両院のニ分の一以上の賛成で国民投票

結局、憲法を改訂しやすくして、基本的人権を大幅に制限し、公然と戦争が出来る体制を作ろうとしているようですね。

★よく「日本国憲法」は外国に押し付けられた憲法だから変えないといけないといわれますよね。第二次大戦敗戦当時は、GHQ(戦勝の連合国、実質はアメリカ軍)の統治下にあり、日本政府の提出した保守的な草案に代わる、GHQ憲法草案が基礎となった現在の日本国憲法が国会で承認されたわけです。

戦後の日本政府の憲法草案は、明治憲法を基礎とした天皇中心の非民主的な憲法草案だったのに対して、革新的で民主的な優れた憲法草案が在野で作られていたと伝えられます。憲法学者・鈴木安蔵をはじめ戦前、戦中に弾圧を受けたジャーナリスト、批評家、憲法学者7人が作成した「憲法草案要綱」がそれです。その草案は現在の日本国憲法と基本的に同様の理念であり、GHQも驚きをもって向かえ、GHQも強く影響を受けたとGHQ案起草者の証言があります。

しかし、第九条はGHQ独自のものであり、戦争の放棄、陸海空戦力の放棄、交戦権の放棄が明記されています。これはGHQ占領軍の利益からは、二度と日本軍国主義を立ち上がれないようにする内容です。
しかし、これを民衆の側から見れば、3000万人アジアの民と300万人日本人死者たちのうめきの声として、生き残ったもの、戦争加担者の自戒の念と死者への鎮魂の言霊として受け止めてもいいのではないでしょうか。

★僕は小学6年生の頃、日本は「東洋のスイス」、「永世中立国」になれ!と先生から教えられたことを今想い起こしています。
この先生は東谷先生といい、20歳代の半ばで、戦地から帰還したところでした。戦争の実態を事あるごとに幼い僕たちに話してくださった。1951年朝鮮戦争が始まり、「教員の政治活動防止法案」が国会で上程されようとしていました。この法律は先生が子ども達に戦争のことなど政治的なことを教壇から話してはいけないという法律でした。

このとき東谷先生は「もしこの法律が国会で通っても私は、戦争のことを君達に話す。首をかけても」といわれた。もう詳しいことは思い出せませんが、先生が僕たち子どもに正面から、人間同士として、真剣に、全存在をかけて向かい合ってくださった姿を、今でも鮮明に思い出します。東谷先生にとって憲法第九条・「戦争の放棄」は屈辱憲法ではなく、自分達の起こした侵略戦争の犠牲者に対して、また、自分の意存在のあり方をかけて、生き残ったものが非戦の誓いを込めて、魂を吹き込む原理であったように思えるのです。